郷土ゆかりの文豪④

北海道
・京極夏彦(1963~)

 作家、妖怪研究家、アートディレクター。北海道小樽市出身。北海道倶知安高等学校卒業。アートディレクターとして桑沢デザイン研究所を経て、広告代理店に勤務した後、独立してデザイン会社を設立した。1994年、仕事の合い間に初めて書いた小説「姑獲鳥(うぶめ)の夏」で文壇デビュー。08年映画化・上映された作品、「魍魎の匣(もうりょうのはこ)」で1996年、第49回日本推理作家協会賞、1997年「嗤(わら)う伊右衛門」で第25回泉鏡花文学賞を受賞。2003年「覘(のぞ)き小平次」で第16回山本周五郎賞、2004年「後巷説百物語」で第130回直木賞受賞。代表作に「百鬼夜行シリーズ」「巷説百シリーズ」「江戸怪談シリーズ」「厭シリーズ」「豆腐小僧シリーズ」「どすこい」など多数。「嗤う伊右衛門」(2004年)、「姑獲鳥の夏」(2005年)、「魍魎の匣」(2007年)が映画化されるなど、テレビドラマ・アニメ化、ラジオドラマ化、漫画化、演劇化されている作品も数多い。

・原田康子(1928~2009年)
 作家。本名は佐々木康子。東京都生まれ。北海道釧路市出身。市立釧路高等女学校(現在の北海道釧路江南高等学校)卒業後、釧路新聞に勤務。1949年に同人誌「北方文芸」に処女作「冬の雨」を発表し、以後も同誌を中心に短編・長編を発表。1954年「サビタの記憶」で「新潮」同人雑誌賞に応募、最終候補に残って、伊藤整らの高い評価を得る。1955年から「北方文学」に長編「挽歌」を連載。1956年に出版されると空前のベストセラーとなり、1957年、高峰三枝子主演、五所平之助監督で映画化されるなど大きな反響を呼んだ。「挽歌」と「蝋涙」(1999年)で女流文学賞、「海霧」(2002年)で第37回吉川英治文学賞を受賞。主な作品に「遠い森」「廃園」「病める丘」「輪唱」「いたずら」「殺人者」「望郷」「鳥のくる庭」「素直な容疑者」「北の林」「風の砦」「星の岬」「虹」「日曜日の白い雲」「聖母の鏡」「恋人たち」「満月」など多数。
【記念館】北海道立文学館(北海道札幌市中央区中島公園1-4)

・三浦綾子(1922~1999年)
 作家・小説家・エッセイスト。旧姓は堀田。旭川市生まれ。旭川市立高等女学校卒業。その後、7年間小学校教員を勤めたが、終戦により教育を含めた国家観に疑問を抱き、1946年退職。このころから肺結核と脊髄カリエスを患い、13年間の療養生活を送り、この間にキリスト教への関心を深め洗礼を受けた。1961年「主婦の友」募集の第1回「婦人の書いた実話」に、「林田律子」名義で「太陽は再び没せず」を投稿し入選。翌年「主婦の友」新年号に「愛の記録」入選作として掲載された。1963年、朝日新聞による大阪本社創刊85年・東京本社75周年記念の1000万円懸賞小説公募に、小説「氷点」を投稿。これに入選し、1964年12月から朝日新聞朝刊に「氷点」が連載開始された。この「氷点」は1966年、朝日新聞から出版され、71万部の売り上げを記録。大ベストセラーとなり、同年、若尾文子主演、山本薩夫監督で映画化された。その後も、「氷点」は数度にわたりテレビドラマ化されている。主な著書に「氷点」「新訳聖書入門」「塩狩峠」「泥流地帯」「細川ガラシャ夫人」「千利休とその妻たち」「海嶺」「残像」「白き冬日」「ちいろば先生物語」「天北原野」「毒麦の季」「ひつじが丘」「果て遠き丘」「母」「広き迷路」「積木の箱」「道ありき」「銃口」「水なき雲」などがある。1998年、旭川市に三浦綾子記念館が開設された。
【記念館】三浦綾子文学記念館(北海道旭川市神楽7条8丁目2-15)http://www.eolas.co.jp/hokkaido/hyouten/
      北海道立文学館(北海道札幌市中央区中島公園1-4)

青森県
・石坂洋次郎(1900~1986年)

 小説家。弘前市生まれ。慶応義塾大学文学部国文科卒。1925年、青森県立弘前高等女学校(現在の青森県立弘前中央高校)に勤務。以後、秋田県立横手高等女学校(同秋田県立横手城南高校)など38年まで教員生活を送る。1936年「若い人」で第1回三田文学賞を受賞。戦時中は陸軍報道班員としてフィリピンへ派遣される。戦後は「青い山脈」を朝日新聞に連載、映画化され大ブームに。また、この主題歌も大ヒットした。1966年、第14回菊池寛賞を受賞。主な作品に「陽のあたる坂道」「光る海」「あいつと私」「山のかなたに」「石中先生行状記」「麦死なず」「丘は花ざかり」「山と川のある町」「あじさいの歌」「河のほとりで」「ある日わたしは」「雨の中に消えて」「颱風とざくろ」など多数。「陽のあたる坂道」「光る海」など映画化され、話題となった。
【記念館】石坂洋次郎文学記念館(秋田県横手市幸町2-10)

・寺山修司(1935~1983年)
 詩人・劇作家。弘前市出身。早稲田大学中退。1954年「チェホフ祭」で「短歌研究」新人賞を受賞。1967年、横尾忠則、九条映子らと演劇実験室「天井桟敷」を設立、演劇変革のリーダーとなる。47歳で亡くなるまでの17年間、入れ替わり立ち代り2000人近い団員が参加した。国内だけでなく海外の公演活動も多く、とくにヨーロッパでは前衛芸術への評価が高く、毎年のように招待されて公演を行った。1975年、映画「田園に死す」で芸術選奨新人賞を受賞。詩、短歌、俳句、映画、演劇、ラジオドラマ、文学、から競馬やボクシングに至るまでの幅広い評論、小説、作詞、エッセイなど多領域にわたり前線で活躍していたため、「職業は寺山修司です」と名乗っていた。主な作品に歌集「空には木」、戯曲「血は立ったまま眠っている」、著書に「死者の書」「新・書を捨てよ、町へ出よう」「世界の果てまで連れてって」「ボクサー」「上海異人娼館/チャイナドール」「さらば箱舟」などがある。また、「時には母のない子のように」(1969年、カルメン・マキ)、「あしたのジョー」(1970年、尾藤イサオ)、「浜昼顔」(1974年、五木ひろし)などミュージシャンへの歌詞提供だけでも100曲以上、演劇・映画関連をも含めると600曲を超える作詞作品がある。
【記念館】寺山修司記念館(青森県三沢市大字三沢字淋代平116-2955)

・三浦哲郎(1931~2010年)
 小説家。八戸市生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒。早稲田大学在学中の1955年に「十五歳の周圍」で新潮同人雑誌賞を受け、作家活動に。1961年「忍ぶ川」で第44回芥川賞を受賞し文壇デビュー。1965年、NHK朝の連続テレビ小説「繭子ひとり」の原作を書き、1971年に刊行した児童文学「ユタとふしぎな仲間たち」もNHK少年ドラマシリーズになり、劇団四季によってミュージカル化されて何度も上演された。1976年「拳銃と十五の短編」で第29回野間文芸賞し、文壇的地位を確立した。1983年「少年讃歌」で日本文学大賞、1990年「じねんじょ」で川端康成文学賞、「白夜を旅する人々」で大仏次郎賞、1991年「みちづれ」で伊藤整文学賞(小説部門)をそれぞれ受賞。傾向として、自伝的小説(私小説)の執筆が多い。主な作品に「おふくろの味」「海への道」「笹舟日記」「おろおろ草子」「木馬の騎手」「ユタとふしぎな仲間たち」「初夜」「揺籃」「団欒」「兄と弟」「結婚」「夜の絵」「風の旅」「初めての愛」「春の舞踏」「妻の橋」「真夜中のサーカス」「駱駝の夢」「ちぎれ雲」「素顔」「愛しい女」「娘たちの夜なべ」「はまなす物語」「夜の哀しみ」「百日紅の咲かない夏」などがある。

秋田県
・石川達三(1905~1985年)

 作家。秋田県平鹿郡横手町(現在の横手市)生まれ。東京都、岡山県などで育つ。早稲田大学文学部英文科中退。大学在学中に大阪朝日新聞の懸賞小説に当選。大学中退後は国民時論社に就職するが、その後退職。退職金を基に1930年に移民の監督者として船でブラジルに渡り、数カ月後に帰国。国民時論社に復職して「新早稲田文学」同人となり小説を書く。ブラジルの農場での体験をもとにした「蒼氓(そうぼう)」で1935年、第1回芥川賞を受賞。社会批判をテーマにした小説を書くが、1938年「生きてゐる兵隊」が新聞紙法に問われ発禁処分受け、禁固4カ月執行猶予3年の判決を受けた。1969年、第17回菊池寛賞受賞。主な作品に「金環蝕」「望みなきに非ず」「風にそよぐ葦」「神坂四郎の犯罪」「四十八歳の抵抗」「青春の蹉跌」「泥にまみれて」「僕たちの失敗」「人間の壁」「日蔭の村」「結婚の生態」「愛の終りの時」「稚くて愛を知らず」「流れゆく日々」「転落の詩集」「泥にまみれて」「洒落た関係」など多数。

岩手県
・高橋克彦(1947~)

 作家。盛岡市生まれ。早稲田大学商学部卒。美術館勤務を経て、1983年「写楽殺人事件」で第29回江戸川乱歩賞を受賞して文壇デビュー。その後、1986年「総門谷」で第7回吉川英治文学新人賞、1987年「北斎殺人事件」で第40回日本推理作家協会賞を受賞。1992年「緋い記憶」で第106回直木賞受賞。2000年に「火怨」で第34回吉川英治文学賞を受賞。SF伝奇小説、歴史小説、時代小説まで幅広い作品を書いている。「炎立つ」(1993年)、「北条時宗」(2001年)はNHK大河ドラマの原作となった。主な著書に「竜の柩」「パンドラ・ケース よみがえる殺人」「舫鬼九郎シリーズ」「完四郎広目手控えシリーズ」「だましゑシリーズ」「広重殺人事件」「ゴッホ殺人事件」「春信殺人事件」「炎立つ」(全5巻)、「北条時宗」などがある。浮世絵研究家としても知られ、著書に「浮世絵鑑賞事典」がある。

宮城県
・梅原猛(1925~)

 作家。京大哲学科卒業。立命館大学教授、京都市立芸術大学学長を経て、国際日本文化研究センター所長などを歴任。1992年、文化功労者。梅原は、青年期には西田幾多郎・田辺元の哲学に強く惹かれて、大学進学に際しては東大倫理学科の和辻哲郎の下で学ぶか、京大哲学科の西田の下で学ぶかの選択に迷っていたが、結局1945年、京都帝国大学文学部哲学科に入学した。入学直後、徴兵され、9月復学。1948年同大を卒業。日本仏教を中心に置いて日本人の精神性を研究した西洋哲学、西洋文明に対しては、梅原は否定的な姿勢を取った。西洋哲学の研究者が多い日本の哲学者の中で異色の存在。市川猿之助劇団のために「ヤマトタケル」「オオクニヌシ」「オグリ」などの歌舞伎台本を書き、これが古典芸能化した近代歌舞伎の“殻”を破ったので「スーパー歌舞伎」と呼ばれた。鈴木大拙を近代日本最大の仏教者と位置付け、その非戦論の重要性を訴えた。主著に「隠された十字架 法隆寺論」(第26回毎日出版文化賞)、「水底の歌 柿本人麻呂論」(第1回大佛次郎賞)など。1999年、文化勲章を受章。縄文時代から近代までを視野におさめ、文学・歴史・宗教などを包括して日本文化の深層を解明する幾多の論考は<梅原日本学>と呼ばれる。他に、「黄泉の王 私見 高松塚」「海人(あま)と天皇 日本とは何か」「写楽 仮名の悲劇」「百人一語」「さまよえる歌集」「美と宗教の発見」「塔」「地獄の思想」「仏教の思想」「仏像のこころ」「聖徳太子」「日本の深層」「日本学事始」「飛鳥とは何か」「『歎異抄』と本願寺教団」「親鸞の告白」「親鸞と世阿弥 思うままに」「三人の祖師 最澄・空海・親鸞」「最澄の瞑想」「法然の哀しみ」「赤人の諦観」「ギルがメッシュ」「葬られた王朝-古代出雲の謎を解く」など多数。

福島県
・草野心平(1903~1988年)

 詩人。福島県石城郡上小川村(現在のいわき市小川町)生まれ。当時、家族は東京におり、心平だけが祖父母のもとで育てられた。1919年上京し、1920年慶応義塾大学普通部に編入学するが、半年ほどで退学。1921年、中国の広東嶺南大学(現在の中山大学)に進学。1925年、現地の排日運動の激化に伴い帰国。詩作は、この中国留学中に開始された。1923年、兄の詩人、草野民平と自身の詩を収めた「廃園の喇叭」を自費出版。その後、雑誌「銅鑼」を主宰し、宮沢賢治や鈴木三重吉らを同人に誘い、彼らの作品の紹介に努めた。1928年、活版刷りとしては初の詩集となる「第百階級」を刊行。全編が蛙をテーマにしたものであり、以後もこの生物を扱った詩を書き続けた。1935年には中原中也らと詩誌「歴程」を創刊した。1938年には「帝都日日新聞」の記者として中国・満州にわたり、そのときの模様を「支那転々」にまとめている。1950年「蛙の詩」で第1回読売文学賞受賞。主な詩集に「第百階級」「明日は天気だ」「母岩」「蛙」「絶景」「富士山」「日本沙漠」「牡丹園」「天」「第四の蛙」「マンモスの牙」、随筆・詩論に「火の車」「詩と詩人」「わが青春の記」「わが光太郎」「わが賢治」「私の中の流星群」「仮想招宴」「酒味酒菜」などがある。
【記念館】いわき市立草野心平記念文学館(福島県いわき市小川町高萩字下夕道1-39)http://www.k-shimpei.jp

新潟県
・火坂雅志(1956~)

 作家。新潟市出身。早稲田大学商学部卒。大学在学中より早稲田大学歴史文学ロマンの会に所属し歴史文学に親しんだ。大学失業後は編集者として出版社に勤務し、1988年に「花月秘拳行」で作家デビュー。吉川英治文学新人賞候補となった「全宗」で注目されるようになった。「全宗」は豊臣秀吉の懐刀、施薬院全宗を題材とした長編。以来、「鬼道太平記」「柳生烈堂」「西行桜」など話題作を次々と発表。上杉謙信を祖とする上杉家の家老・直江山城守兼続の生涯を描いた「天地人」で中山義秀文学賞を受賞、2009年のNHK大河ドラマ「天地人」の原作となった。伝奇性の強い作品が多いが、近年は本格的な大型時代小説を発表している。既述以外の主な作品に「骨法秘伝」「骨法必殺」「龍馬復活」「おぼろ秘剣帖」「悪党伝説 外法狩り」「伊賀の影法師」「楠木正成 異形の逆襲」「関ヶ原幻魔帖」「京都呪殺」「武蔵二刀流」「信長の密使 異聞・桶狭間の合戦」「神異伝」シリーズ、「徳川外法忍風録」「新選組魔道剣」「日本魔界紀行」「霧隠才蔵」「源氏無情の剣」「忠臣蔵心中」「尾張柳生秘剣」「蒼き海狼」「黄金の華」「虎の城」「沢彦」「臥竜の天」「軒猿の月」「軍師の門」など。

・山岡荘八(1907~1978年)
 作家。本名は山内庄蔵、のち結婚して藤野姓に。高等小学校を中退して上京、逓信官吏養成所に学んだ。17歳で印刷製本業を始め、33年「大衆倶楽部」を創刊して編集長に。山岡荘八の筆名は同誌に発表した作品から。1938年、時代小説「約束」が「サンデー毎日 大衆文芸」に入選。傾倒していた長谷川伸の新鷹会に加わった。1939年、初の著書「からゆき軍歌」を上梓。太平洋戦争中は、1942年から従軍作家として各戦線を転戦。「海底戦記」その他で野間文芸奨励賞を受賞。戦後、1950年から「北海道新聞」に連載を開始、後に「中部日本新聞」「神戸新聞」などにも拡大、17年の歳月を費やした大河小説「徳川家康」は空前の“家康ブーム”を巻き起こした。以来、織田信長、豊臣秀吉、源頼朝、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作、伊達政宗、毛利元就、柳生宗矩、徳川光圀、徳川家光、徳川慶喜、日蓮、千葉周作、明治天皇らの生きざまを描いた歴史小説を中心に幅広く活躍した。1958年中日文化賞、1966年には文壇長者番付一位になった。1967年長谷川伸賞、1968年に第2回吉川英治文学賞を受賞。1973年には紫綬褒章を受章。「春の坂道」(1971年)、「徳川家康」(1983年)、「独眼流政宗」(1987年)はNHK大河ドラマとなった。

栃木県
・立松和平(1947~2010年)

 作家。本名は横松和夫。ペンネームは「横松」のもじり。栃木県宇都宮市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。早稲田大学在学中、1970年「自転車」で早稲田文学新人賞を受賞。土木作業員、運転手などを経て、故郷の市役所に勤務。1979年より執筆に専念。1980年「遠雷」で野間文芸新人賞。1993年「卵洗い」で第8回坪田譲治文学賞。1997年「毒-風聞・田中正造」で毎日出版文化賞受賞。2002年「歌舞伎『道元の月』」の台本で第31回大谷竹次郎賞、2007年「小説 道元禅師」で第35回泉鏡花文学賞、2008年同じく「小説 道元禅師」で第5回親鸞賞を受賞。各地を旺盛に旅する行動派作家として知られる。既述以外の主な著書に「地霊」「ラブミー・テンダー新庶民列伝」「光の雨」「途方にくれて」「火遊び」「歓喜の市」「雨月」「蜜月」「春雷」「熱帯雨林」「魂へのデッドヒート」「天狗が来る」「世紀末通りの人びと」「楽しい貧乏」「黄昏にくる人」「象に乗って」「真夜中の虹」「風と話そう 対談集」「風と歌おう 対談集」「森に生きる」「流氷のおくりもの」「日本列島の香り 国立公園紀行」「スプーン一杯のビール」「新おくのほそ道 俵万智」「聖徳太子 この国の原郷」「現代の饗宴 対談集」「法隆寺の智慧 永平寺の心」「人生の現在地」、絵本「田んぼのいのち」など多数。

・柳田邦男(1936~)
 作家。栃木県鹿沼町(現在の鹿沼市)出身。東京大学経済学部卒、卒業後、NHKに入局。1966年、社会部の遊軍記者として「全日空機羽田沖墜落事故」「カナダ太平洋航空機墜落事故」「BOAC機空中分解事故」を取材。1971年、これらの事故を追ったルポルタージュ「マッハの恐怖」を発表。1972年、この「マッハの恐怖」で第3回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。1974年、NHKを退職して作家業に専念。1979年「ガン回廊の朝」で第1回講談社ノンフィクション賞受賞。1984年、報道記者としての業績を顕彰し、ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。1986年、第38回日本放送協会放送文化賞受賞、1995年「犠牲(サクリファイス)わが息子・脳死の11日」とノンフィクションジャンル確立への貢献とで第43回菊池寛賞を受賞。1997年「脳治療革命の朝」で第59回文藝春秋読者賞を受賞。「犠牲(サクリファイス)わが息子・脳死の11日」は精神を病んだ次男が自殺する体験を綴った作品で、それ以降、終末医療や精神論などの著作が増えている。既述以外の主な作品に「フェイズ3の眼」「零式戦闘機」「新幹線事故」「大いなる決断」「事故の視角」「マリコ」「撃墜 大韓航空機事件」「恐怖の2時間18分」「明日に刻む闘い ガン回廊からの報告」「最新医学の現場」「『死の医学』への序章」「新フェイズ3の眼」「活力の構造」「20世紀は人間を幸福にしたか」「この国の失敗の本質」「元気が出る患者学」「キャッシュカードがあぶない」「事実の素顔」「事実の考え方」「事実の核心」「事実からの発想」「事実の読み方」など多数。

群馬県
・土屋文明(1890~1990年)

 歌人、国文学者。群馬県・群馬町上郊村(現在の群馬県高崎市)出身。東京帝国大学文科大学哲学科卒。高崎中学在学中、根岸派の歌誌「アカネ」に短歌、詩、文章を投稿。根岸派の歌人、村上成之に教えを乞う。東京帝国大学在学中、山本有三、久米正雄、芥川龍之介、菊池寛らと第三次「新思潮」を創刊、「井出説太郎」の筆名で小説、戯曲を発表。長野県諏訪、松本の各高等女学校校長、そして法政大学予科教授などを歴任。この間も作歌活動は続けていた。1924年に作品集「ふゆくさ」を発表したのを皮切りに、歌人としての名声を高めていった「往還集」「山谷集」「六月風」「少安集」「山の間の霧」「山下水」「自流泉」など40数年の長きにわたって創作活動を続けた。戦後は1952年の明治大学文学部教授に就任。日本芸術院賞受賞。1984年文化功労者、1985年「青南後集」で第8回現代短歌大賞受賞、1986年に文化勲章を受章。「青南集」「続青南集」の2歌集で読売文学賞を受賞した。長い間、国文学者でありつつ歌壇の最長老として君臨、晩年まで作品を創り続け、100歳の天寿を全うした。既述以外の主な作品に「万葉集入門」「万葉集小径」「万葉集私見」「万葉紀行」「万葉集」「旅人と憶良」「万葉名歌」「読売歌壇秀作選」「羊歯の芽」「方竹の蔭にて」「伊藤左千夫」「歌あり人あり 土屋文明座談」「新選土屋文明集」「和歌評釈選集」など。
【記念館】群馬県立土屋文明記念文学館(群馬県高崎市保渡田町2000)

埼玉県
・森村誠一(1933~)

 作家。埼玉県熊谷市生まれ。1958年、青山学院大文学部英米文学科卒。ホテルニューオータニに勤務し、67年に退社。ビジネススクール講師を経て、1969年「高層の死角」で第15回江戸川乱歩賞受賞。1973年、「腐蝕の構造」で第26回日本推理作家協会賞を受賞。推理小説のシリーズキャラクターとして棟居弘一良(棟居刑事シリーズ)、牛尾正直(終着駅シリーズ)を生み出している。この両シリーズともテレビドラマ化されている。1976年、「人間の証明」で角川小説賞。2003年、日本ミステリー文芸大賞受賞。2011年「悪道」で第45回吉川英治文学賞受賞。1977年、松田優作主演で映画化された「人間の証明」、続いて高倉健主演で映画化された「野生の証明」は森村にとってエポックメーキングな作品となった。これらは角川書店の角川春樹社長の依頼で、当初から映画化を前提に執筆されたが、映画の大ヒットとともに作品は文庫化され一躍、ベストセラー作家となった。主な作品に「新幹線殺人事件」「悪魔の飽食・三部作」「殺意の重奏」「星のふる里」「人間の十字架」「新編平家物語」「太平記」「人間の条件」「炎の条件」「コールガール」「結婚の条件」など推理小説、時代小説、そしてノンフィクションまで多数。

東京都
・秋山駿(1930~)

 文芸評論家。早稲田大学文学部仏文科卒。1979~1993年まで東京農工大教授、1997年以降、武蔵野女子大教授を務めている。1960年、評論「小林秀雄」で第3回群像新人賞・評論部門を受賞。小松川女子高校生殺人の少年の内面に迫る「想像する自由」で注目される。「知れざる炎 評伝中原中也」「魂と意匠 小林秀雄」などを経て、1990年「人生の検証」で第1回伊藤整文学賞・評論部門、1996年刊行の「信長」で第49回野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞、2003年「神経と夢想 私の罪と罰」で第16回和辻哲郎文化賞・一般部門を受賞。話題となった「信長」で、人間の天才性を追求して知的刺激に満ちた新鮮な信長像を提示した。渡辺淳一、瀬戸内寂聴など、文芸評論家が通俗作家としてあまり論じない作家を積極的に評価。また時代小説家では藤沢周平、宮城谷昌光を早くから評価するなど、時代から超然とし、自分自身の感覚を信じるところに秋山の真骨頂がある。既述以外の主な作品に「無用の告発-存在のための考察」「抽象的な逃走」「考える兇器」「小林秀雄と中原中也」「作家論」「地下室の手記」「秋山駿批評」「秋山駿文芸時評」「言葉の棘」「内的生活」「知られざる炎 評中原中也」「架空のレッスン」「生の磁場」「こころの詭計」「恋愛の発見」「時代小説礼讃」「路上の櫂歌」「信長発見」「信長と日本人 魂の言葉で語れ」「小説家の誕生 瀬戸内寂聴」「私小説という人生」「忠臣蔵」「文学のゆくえ 21世紀に遺す」「批評の透き間」など。

・浅田次郎(1951~)
 小説家・詩人・歌人・俳人・作家・エッセイスト。本名は岩戸康次郎。東京都中野区生まれ。中央大学杉並高等学校を経て、自殺した三島由紀夫の影響を受け、自衛隊に入隊。のちアパレル業界など様々な職業に就きながら、投稿生活を続け、1991年「とられてたまるか」でデビュー。1995年「地下鉄(メトロ)に乗って」で第16回吉川英治文学新人賞、1997年「鉄道員(ぽっぽや)」で第117回直木賞、2000年「壬生義士伝」で第13回柴田錬三郎賞を受賞。2006年「お腹召しませ」で第1回中央公論文芸賞と第10回司馬遼太郎賞、2008年「中原の虹」で第42回吉川英治文学賞、2010年「終わらざる夏」で毎日出版文化賞を受賞。時代小説やエッセイのほか、「蒼穹の昴」などの中国歴史小説がある。映画化、テレビドラマ化された作品も多い。日本の大衆小説の伝統を受け継ぐ代表的な小説家といえる。このほか主な作品に「珍妃の井戸」「シェラザード」「歩兵の本領」「椿姫」「薔薇盗人」など多数。またエッセイ「勇気凛凛ルリの色」シリーズも好評。

・安部公房(1924~1993年)
 作家。東京府北豊島郡滝野川町(現在の東京都北区滝野川)生まれ(本籍地は北海道旭川市)。少年期を満州で過ごした。東大医学部卒。1951年「壁-S・カルマ氏の犯罪」で芥川賞受賞。1958年、戯曲「幽霊はここにいる」で岸田演劇賞、1962年発表の「砂の女」が読売文学賞受賞。1968年、「砂の女」でフランスの最優秀外国文学賞を受けたほか、戯曲「友達」の谷崎潤一郎賞(1967年)、戯曲「未必の故意」で芸術選奨文部大臣賞(1972年)、「緑色のストッキング」で読売文学賞(1975年)を受賞。1973年より演劇集団「安部公房スタジオ」結成。独自の演劇活動を展開。1977年には米国芸術科学アカデミー名誉会員に推され、海外での評価も極めて高く、急逝が惜しまれる。作品は30カ国以上で翻訳・出版されている。既述以外の主な作品に「他人の顔」「燃えつきた地図」「飢餓同盟」「第四間氷期」「箱男」「密会」「水中都市・デンドロカカリヤ」「無関係な死」「榎本武揚」「赤い繭」「けものたちは故郷をめざす」「終わりし道の標べに」などがある。

・池宮彰一郎(1923~)
 作家・脚本家。本名は池上金男。東京で生まれ、静岡県沼津市で育った。現在の静岡県立沼津商業高等学校を卒業。約3年間の陸軍体験を経て、シナリオを三村伸太郎に師事。本名の池上金男で脚本家として活動、シナリオの代表作に「十三人の刺客」「大殺陣」「雲霧仁左衛門」などがある。池宮彰一郎の名で、1992年初めて執筆した時代小説「四十七人の刺客」で新田次郎文学賞を受賞。69歳という高齢での小説家でビューだった。その後、1999年「島津奔る」を発表、柴田錬三郎を受賞した。脚本作家の経歴を生かし、とくに戦争や戦闘シーンで軽妙で迫力ある文章を得意として、人気を博した。既述以外の主な作品に「平家」「四十七人の浪士」「事変」「高杉晋作」「風塵」「九思の剣」「清貧の福」「無明長夜の剣」「聞多と灘亀」「禍福の海」「その日の吉良上野介」「義・我を美しく」「受城異聞記」など多数。尊敬する司馬遼太郎作品との類似による盗作疑惑問題で、「遁げろ家康」(2002年、司馬の「覇王の家」との類似)、「島津奔る」(2003年、司馬の「関ヶ原」との類似)がそれぞれ絶版、回収となっている。

・石川淳(1899~1987年)
 作家。東京浅草生まれ。本名の読みは淳(きよし)。夷斉と号す。東京外国語大学フランス語科卒。横須賀海軍砲術学校講師、海軍軍令部勤務、慶応義塾フランス語講師などを経験。アンドレ・ジイドの訳著などの後、和漢洋にわたる該博な学識教養をひっさげて作家活動に入った。1935年、処女作「佳人」発表。翌年「普賢」の第4回芥川賞受賞でその地位を確保した。1938年、「文学界」に発表した「マルスの歌」が発禁処分を受けたため、戦時中は創作に制約を受け、森鴎外における史伝の意味を明らかにした「森鴎外」などの評論や江戸文学の研究に没頭した。終戦後は旺盛な活動を始め、「焼跡のイエス」「処女懐胎」などの作品を発表。太宰治、織田作之助らとともに“無頼派”と呼ばれた。その後、安部公房に師事されるようになり、安部の作品「壁」に序文を寄せている。石川の作家としての信念は強靭を極め、微塵も妥協を許さず、戦前、戦中、戦後を通じて一本に貫かれている。そして、その作品には和漢洋にわたる学識を背景にした現代社会への批判精神にあふれている。1981年「江戸文學掌記」で第32回読売文学賞(評論・伝記部門)を受賞。既述以外の主な作品に「渡辺崋山(伝記)」「義貞記」「黄金伝説」「かよひ小町」「文學大概(評論)」「無人灯」「最後の晩餐」「鷹」「珊瑚」「八幡縁起」「曽呂利咄」「安吾のゐる風景 敗荷落日」「おとしばなし和唐内」「新釈雨月物語」「新釈古事記」「修羅」「紫苑物語」「酔ひどれ歌仙」「六道遊行」などがある。

・内田康夫(1934~)
 推理作家。東京都北区生まれ。東洋大学文学部卒。コピーライター、CM制作会社社長を経て、1980年「死者の木霊」でデビュー、1982年から作家業に専念。名探偵・浅見光彦が登場する数々のシリーズ作品はテレビ化・映画化もされ、多くの読者の圧倒的支持を得ている。軽井沢にはファンクラブ「浅見光彦倶楽部」がある。「浅見光彦シリーズ」「岡部警部シリーズ」「信濃のコロンボシリーズ」の人気シリーズがある。主な作品に「後鳥羽伝説殺人事件」「平家伝説殺人事件」「佐渡伝説殺人事件」「天河伝説殺人事件」「作用姫伝説殺人事件」「津和野殺人事件」「天城峠殺人事件」「高千穂伝説殺人事件」「小樽殺人事件」「長崎殺人事件」「日光殺人事件」「シーラカンス殺人事件」「倉敷殺人事件」「『横山大観』殺人事件」「『萩原朔太郎』の亡霊」「戸隠伝説殺人事件」「北国街道殺人事件」「追分殺人事件」「『信濃の国』殺人事件」「藍色回廊殺人事件」「鄙の記憶」「不知火海」「幸福の手紙」「皇女の霊柩」「姫島殺人事件」「斎王の葬列」など。西村京太郎、山村美紗とともに、旅情ミステリー作家の代表的作家として知られている。

・江藤淳(1933~1999年)
 批評家、文芸評論家、文学博士。東京府北豊多摩郡大久保町字百人町(現在の東京都新宿区)生まれ。戸籍名は江頭淳夫(えがしらあつお)。東京工業大学教授、慶應義塾大学教授などを歴任。1956年刊行の「夏目漱石」で新鋭批評家として一躍脚光を浴び、「小林秀雄」(1961年)により新潮社文学賞受賞。戦後日本の著名な文芸評論家で、小林秀雄泣き後の文芸批評の第一人者といわれた。1969年末から約9年にわたり、毎日新聞の文芸時評を担当、大きな影響力を持った。この間、1970年には「漱石とその時代」(第一部、第二部)で菊池寛賞、野間文芸賞を受けた。「閉された言語空間-占領軍の検閲と戦後日本」「一九四六年憲法-その拘束-その他」などで、GHQによる戦後日本のマスコミへの検閲、GHQの呪縛から脱却できない戦後民主主義を鋭く批判した。既述以外の著作に、薩摩藩出身の山本権兵衛を主人公に、開国からの日本海軍の創立に至る過程を描いた長編歴史小説「海は甦える」はじめ、「成熟と喪失」「一族再会」「自由と禁忌」「決定版 夏目漱石」「氷川清話」「海舟語録」「海舟余波-わが読史余滴」などがある。

・円地文子(1905~1986年)
 作家。東京・浅草生まれ。日本女子大学附属高等女学校中退。幼少時より病弱で、学校を休み休み通っていた状態で、そのため中退。その後は父などから個人授業を受け、戯曲および古典・日本文学に深い関心を持つようになった。1926年「ふるさと」により劇作家として活動を開始し、小山内薫に師事した。“藤原摂関政治”体制の基礎を築いた、当時の権力者、藤原道長の様々な追い落としの策謀に抗する中宮定子の誇り高き愛を描いた「なまみこ物語」(女流文学賞)、源氏物語の現代語訳の過程で生まれた、創見に満ちた随想「源氏物語私見」のほか、1957年「女坂」で第10回野間文芸賞を受賞、1969年「朱を奪うもの」「傷ある翼」「虹と修羅」の一連の活動で第5回谷崎潤一郎賞(1969年)を受賞。日本の古典については、平安朝から近世まで詳しく、女を描いた小説と「源氏物語」など古典に造詣が深く、この点が評価され1985年、文化勲章を受章。「源氏物語」現代語訳(全5巻)は与謝野晶子、谷崎潤一郎に続くもの。主な著作に「惜春」「麗しき母」「雪割草」「ひもじい月日」「春待つ花」「妻の書きおき」「秋のめざめ」「女面」「妻は知っていた」「恋妻」「女舞 秋元松代」「愛情の系譜」「女を生きる」「現代好色一代女」「女の淵」「雪燃え」「あざやかな女」「女人風土記」「食卓のない家」「砧」「菊慈童」などがある。

・逢坂剛(1943~)
 作家。東京都文京区生まれ。本名は中浩正。幼少期に母が病死し、父子家庭で育った。中央大学法学部法律学科卒。中学時代から探偵小説、ハードボイルド小説を書き始め、大学は法学部だったが、司法試験は早々に諦め、博報堂に入社。以後、勤務のかたわら執筆活動を行い、1997年、31年間勤めた同社を退社し、専業作家となった。1980年「暗殺者グラナダで死す」で第19回オール読物推理小説新人賞受賞。1986年、ギターとスペイン内戦を扱った「カディスの赤い星」で第96回直木賞。第40回日本推理作家協会賞、第5回日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。公安警察シリーズ、岡坂神策シリーズ、御茶ノ水警察シリーズ、禿鷹シリーズ、さらに重蔵始末シリーズを始めとする時代小説も執筆している。主な作品に「猿曳遁兵衛 重蔵始末(三)」「燃える蜃気楼」「銃弾の森 禿鷹Ⅲ」「恩はあだで返せ」「墓石の伝説」「空白の研究」「コルドバの女豹」「スペイン灼熱の午後」「情状鑑定人」「幻の祭典」「さまよえる脳髄」「燃える地の果てに」「デズデモーナの不貞」「熱き血の誇り」など多数。2001年から2005年まで日本推理作家協会理事長を務めた。日本将棋連名会長の米長邦雄とは、中央大学の同期入学で旧知の間柄。

・北杜夫(1927~)
 作家、精神科医、医学博士。本名は斎藤宗吉(さいとうそうきち)。東京市赤坂区青山南町(現在の東京都港区南青山)生まれ。東北大学医学部卒。少年時代は昆虫採集に熱中する日々を送り文学には興味はなかった。旧制高校時代にトーマスマンの作品に出会い、作家を志すようになった。1960年、半年間の船医としての体験をもとに「どくとるマンボウ航海記」を刊行、同年「夜と霧の隅で」で芥川賞を受賞。その後1964年「楡家の人びと」(毎日出版文化賞)、1982~86年の「輝ける碧き空の下で」(日本文学大賞)などの小説を発表する一方、ユーモアあふれるエッセイの執筆も多い。大正から昭和前期にかけてアララギの中心人物として知られる歌人、父・斎藤茂吉を描いた「青年茂吉」「壮年茂吉」「茂吉彷徨」「茂吉晩年」の4部作で大佛次郎賞を受賞している。このほかの作品に「どくとるマンボウ昆虫記」「どくとるマンボウ青春記」「さびしい王様」「さびしい乞食」「さびしい姫君」「酔いどれ船」「母の影」「孫ニモ負ケズ」「幽霊-或る幼年と青春の物語」「遥かな国遠い国」「船乗りクプクプの冒険」「高みの見物」「白きたおやかな峰」「どくとるマンボウ追想起」「マンボウ人間博物館」「マンボウ酔族館」「どくとるマンボウ回想記」などがある。

・栗本薫(1953~2009年)
 小説・評論家。本名は今岡純代。旧姓は山田。東京都葛飾区生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒。1977年、「中島梓」として「文学の輪郭」で群像新人賞受賞。文芸評論家としてデビュー。1978年「栗本薫」クン登場の「ぼくらの時代」で第24回江戸川乱歩賞、1981年「絃の聖域」で第2回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、ミステリー、SF、時代、伝奇小説を書き、中島梓の名で評論活動や作詞・作曲、ピアノ演奏、ミュージカルの脚本・演出なども手がけ幅広く活躍。分野ごとに中島梓、栗本薫両名義を使い分けている。約30年間の活動で、新刊だけで約400冊の作品を発表した。その中に1年間に20冊以上の新刊を発表した年も4年あり、晩年も年間10冊以上の新刊を発表していた。「グイン・サーガ」シリーズ、伊集院大介シリーズ、「魔界水滸伝」など多数。「グイン・サーガ」は序盤が英・独・仏・伊・露の各国語の翻訳されており、国際的な評価が待たれる。

・椎名誠(1944~)
 SF作家、エッセイスト、写真家。本名は渡辺誠、旧姓が椎名。結婚したとき妻の姓に合わせた。東京都世田谷区三軒茶屋で生まれ、少年時代を千葉で過ごした。東京写真大学中退。流通業界誌「ストアーズレポート」の編集長を経て、作家に。「本の雑誌」編集長、映画監督など幅広い分野で活躍。1988年「犬の系譜」で吉川英治文学新人賞、1990年「アド・バード」で日本SF大賞、1993年「あひるの歌が聞こえてくるよ」で第10回山路ふみ子映画文化賞、1995年「白い馬」でJRA賞馬事文化賞、1996年「白い馬」でEARTH VISION地球環境映像祭 環境教育映像賞、第5回日本映画批評家大賞最優秀監督賞、1997年「白い馬」でボージェ映画祭グランプリ、ポーランド子ども映画祭特別賞をそれぞれ受賞した。既述以外の主な作品に「哀愁の町に霧が降るのだ」「わしらは怪しい探検隊」「岳物語」「地球の裏のマヨネーズ」「新橋烏森口青春篇」「銀座のカラス」「本の雑誌血風録」「さらば国分寺書店のオババ」「黄金時代」「飛ぶ男」「噛む女」など多数。主な脚本・監督作品に「ガクの冒険」(1990年)、「うみ・そら・さんごのいいつたえ」(1991年)、「しずかなあやしい午後に 遠野灘鮫原海岸」(1997年)などがある。

・柴田翔(1935~)
 小説家・詩人・エッセイスト、ドイツ文学者。東大工学部から文学部独文科に転じ、修士課程修了。1960年、同人誌「象」に発表した小説「ロクタル管の話」が「文學界」に転載され芥川賞候補となった。1961年に修士論文を改稿した「親和力研究」でゲーテ賞を受賞。翌年、ドイツ留学。1964年、「象」に発表した「されど われらが日々-」で第51回芥川賞受賞。この作品は、六全協(日本共産党第6回全国協議会のこと。同党はこの会議で武装闘争放棄を決議した。)に影響された学生群像を描いた青春小説だ。以後も「贈る言葉」(1966年)、「鳥の影」(1971年)、「立ち盡す明日」(1971年)などを発表した。小説家として活動しながら東京都立大学、東京大学、共立女子大学の助教授・教授を歴任する。1970~72年まで小田実、高橋和巳、真継伸彦、開高健とともに筑摩書房から同人誌「人間として」を刊行。「ノンちゃんの冒険」を連載するが、高橋和巳が病没し、雑誌は休刊になった。同作品は1975年に残りを書き下して刊行されたが、柴田は以後、ほとんど小説を書かなくなった。既述以外の主な作品に「詩に誘われて」「詩への道しるべ」「記憶の街角で遇った人々」「詩に映るゲーテの生涯」「希望としてのクレオール」「中国人の恋人」、訳本に「ファウスト」「若きヴェルテルの悩み」などがある。

・曽野綾子(1931~)
 作家。本名は三浦知壽子。旧姓は町田。カトリック教徒で、洗礼名はマリア・エリザベート。聖心女子大学文学部英文科卒。幼稚園から聖心女子学院に通った。太平洋戦争中は金沢に疎開していた。1951年、第15次「新思潮」同人となり、1953年同人の三浦朱門と結婚。54年「遠来の客たち」が芥川賞候補となり、文壇に登場。占領軍に対する少女の屈託ない視点が神泉で評判となった。才女作家として知られた。30代で不眠症、うつ病に苦しんだが、これらを克服した。文学史的には遠藤周作、安岡章太郎、吉行淳之介、小島信夫、庄野潤三、近藤啓太郎、阿川弘之、三浦朱門、小沼丹、島尾敏雄らとともに「第三の新人」に属す。1980年「神の汚れた手」で第19回女流文学賞(現在の婦人公論文芸賞)に選ばれたが、これを辞退。1987年第3回正論大賞、1993年日本芸術院恩賜賞、1997年第31回吉川英治文学賞を受賞、2003年には文化功労者に選ばれた。主な著書に「無名碑」「幸福という名の不幸」「人間の罠」「虚構の家」「ある神話の背景」「ぜったい多数」「午後の微笑」「残照に立つ」「遠ざかる足音」「青春の構図」「死者の海」「わが恋の墓標」「たまゆら」「女神出奔」「二十一歳の父」「娘たちはいま」「生命ある限り」「夫婦の情景」「時の止まった赤ん坊」「テニス・コート」「夢に殉ず」「哀歌」「神の汚れた手」などがある。

・田村俊子(1884~1945年)
 小説家。東京浅草(現在の台東区)蔵前生まれ。本名はとし。別名、佐藤露英、佐藤俊子。日本女子大学国文科中退。1902年、幸田露伴の門に入り露伴から与えられた露英の名で小説「露分衣(つゆわけごろも)」を発表。岡本綺堂らの文士劇に参加したことをきっかけに女優に。女優の芸名は花房露子。1909年に結婚した田村松魚の勧めで書いた「あきらめ」が1911年、大阪朝日新聞懸賞小説一等になり文壇デビュー。その後、「青踏社」「中央公論」「新潮」に次々と小説を発表し人気作家となる。しかし奔放な性格から、離婚後は恵まれず、上海で客死。官能的な退廃美の世界を描き人気を得た。死後、女流作家の優れた作品に贈られる賞として「田村俊子賞」が創設され、1961年の第1回からスタート、17回で終了した。
代表作は「木乃伊(みいら)の口紅」「炮烙(ほうらく)の刑」「女作者」「彼女の生活」「山道」「あきらめ」「誓言」「山吹の花」「恋むすめ」「恋のいのち」などがある。

・津島佑子(1947~)
 作家。本名は津島里子。太宰治の次女。1歳のとき父を失い母子家庭に、さらに12歳のとき3歳上の実兄が病没し、母・姉の“女系家族”に育った。白百合女子大学英文科卒。在学中より「文芸首都」「三田文学」に参加。「葎の母」(1976年)で田村俊子賞はじめ、「草の臥所」(1977年)で第5回泉鏡花文学賞、「寵児」(1978年)で第17回女流文学賞、「光の領分」(1979年)で第1回野間文芸新人賞、「黙市(だんまりいち)」(1983年)で第10回川端康成文学賞、「夜の光に追われて」(1987年)で第38回読売文学賞、「真昼へ」(1988年)で第17回平林たい子文学賞、「風よ 空駆ける風よ」(1995年)で第6回伊藤整文学賞、「火の山-山猿記」(1998年)で第34回谷崎潤一郎賞および第51回野間文芸賞、「笑いオオカミ」(2001年)で第28回大佛次郎賞、「ナラ・レポート」(2005年)で第15回紫式部文学賞および平成16年度芸術選奨文部大臣賞をそれぞれ受賞した。1991年10月から翌年6月までパリ大学東洋語学校で日本文学を講義した。津島の作品は英語、ドイツ語、イタリア語、フランス語、オランダ語、アラビア語、中国語に翻訳・出版され、国際的に評価が高い。既述以外の主な作品に、「謝肉祭」「我が父たち」「歓びの島」「光の領分」「最後の狩猟」「夜と朝の手紙」「山を走る女」「大いなる夢よ、光よ」「火と河のほとりで」「かがやく水の時代」「女という経験」「あまりに野蛮な」などがある。

・夏樹静子(1938~)
 推理作家。本名は出光静子。旧姓の五十嵐静子名義の作品もある。慶応義塾大学英文科卒。在学中からNHKの推理番組の脚本を手がける。結婚で一時中断するが、1969年「天使が消えていく」で江戸川乱歩賞に応募、執筆を再開した。繊細な心理描写を用い、社会性に富む題材を扱う。1973年「蒸発」で第26回日本推理作家協会賞、1989年、仏訳「第三の女」で第54回フランス犯罪小説大賞(ロマン・アバンチュール大賞)を受賞。
 中国語訳「蒸発」「Wの悲劇」はそれぞれ1998年、2001年の北京探偵推理文芸協会賞の翻訳作品賞を受賞している。エラリー・クィーンに私淑しており、親交があった。「Wの悲劇」は、クィーンの「Xの悲劇」「Yの悲劇」「Zの悲劇」をもじったタイトルで、事前にクィーンに許可を求めたうえで書いたものだ。「Wの悲劇」は薬師丸ひろ子主演で映画化され話題を呼んだ。2006年、日本ミステリー文学大賞を受賞。シリーズ作品として「検事 霞夕子」シリーズや「弁護士 朝吹里矢子」シリーズなどがあり、これらは短編集として刊行されたもので、「検事 霞夕子」シリーズは日本テレビ、フジテレビ、「弁護士 朝吹里矢子」シリーズはTBS、フジテレビ、テレビ朝日でそれぞれテレビドラマ化もされている。既述以外の主な作品に「白愁のとき」「茉莉子」「量刑」「見えない貌」などがある。

・西村京太郎(1930~)
 推理小説作家。本名は矢島喜八郎。東京陸軍幼年学校在学中に終戦を迎え、東京都立電機工業学校(現在の東京都立産業技術高等専門学校)卒業後、臨時人事委員会(後の人事院)に就職。11年間勤務した後、退職し私立探偵、警備員などを経て作家生活に入った。列車や観光地を舞台とするトラベルミステリーに属する作品を数多く発表しており、シリーズキャラクターの十津川警部は有名だ。多くの作品が民放各局でテレビドラマ化されている。著作は400冊を超え、その累計部数は2億部を超えている。1965年「天使の傷痕」で江戸川乱歩賞受賞。1981年「終着駅殺人事件」で日本推理作家協会賞受賞。トラベルミステリーで活躍、著書に「L特急しまんと殺人事件」「特急有明殺人事件」「危険な殺人者」「オリエント急行を追え」「特急ひだ3号殺人事件」「雨の中に死ぬ」「夏は、愛と殺人の季節」「北緯四三度からの死の予告」「雲仙・長崎殺意の旅」「夜が待っている」「失踪計画」「天下を狙う」「謀殺の四国ルート」「木曽街道殺意の旅」「陸中海岸殺意の旅」「恋の十和田、死の猪苗代」「闇を引き継ぐ者」「十津川警部 告発」「十津川警部 射殺」「赤い帆船」「一千万人誘拐計画」「消えたドライバー」「恐怖の金曜日」「消えたエース」「札幌着23時25分」「イレブン殺人事件」「怖ろしい夜」「殺しのバンカーショット」「目撃者を消せ」「L特急やくも殺人事件現金強奪計画完全殺人」「寝台特急八分停車」「殺しのインターチェンジ」「特急北アルプス殺人事件」「殺意の設計」「死への招待状」「殺人列車への招待」「悪女の舞踏会」「急行奥只見殺人事件」「急行もがみ殺人事件」「L特急たざわ殺人事件」「祝日に殺人の列車が走る」「夜の脅迫者」など多数。
山村美紗とは家族ぐるみの交流があった。西村の京都在住時代の自宅は、山村と共同で購入したもので、別館を西村の、本館を山村の住居としていて、山村の生前は両宅が鍵付きの渡り廊下でつながっていた。 【記念館】西村京太郎記念館(神奈川県足柄下郡湯河原町宮上46-12)

・乃南アサ(1960~)
 作家。本名は矢沢朝子。早稲田大学社会科学部中退。広告代理店勤務を経て、文筆業に入る。1988年「幸福な朝食」で第1回日本推理サスペンス大賞優秀賞を受賞し、作家デビュー。1996年、「凍える牙」で第115回直木賞受賞。シリーズ作品に「女刑事・音道貴子シリーズ」はじめ、「新米警官・高木聖大シリーズ」「芭子&綾香シリーズ」がある。主な作品に「風の墓碑銘」「涙」「晩鐘」「風紋」「あなた」「鍵」「魅惑の輝き」「微笑む女」「最後の嘘」「悪魔の羽根」「鎖」「5年目の魔女」「花盗人」「団欒」「火のみち」「ニサッタ ニサッタ」「いつか陽のあたる場所で」「自白」「すれ違う背を」「禁猟区」「地のはてから」など多数。テレビドラマ・映画化された作品も少なくない。「幸福な朝食」(1988年)、「2度目のウェディング・ベル」(1994年)、「29歳の憂うつ パラダイスサーティー」(2000年)、「凍える牙」(2001年)、「結婚詐欺師」(2007年)などがテレビドラマ化、「ジューンブライド6月19日の花嫁」(1998年)が映画化されている。

・畑山博(1935~2001年)
 作家。日本大学第一高等学校卒業後、新聞店員、旋盤工の工員など様々な職歴を経て、1966年に放送作家としてデビュー。同年「一坪の大陸」で第9回群像新人文学賞の小説部門を受賞。1972年「いつか汽笛を鳴らして」で第67回芥川賞を受賞。社会的弱者や差別される側の人々の意識を探る作品が多い。社会の片隅で生きる人々を温かな眼差しで描き、自然との共生を説いている。後年は宮沢賢治研究に従事した。主な著書に「宮沢賢治 幻の羅須地人協会授業」「美しき死の日のために」「銀河鉄道の夜 探険ブック」「教師 宮沢賢治のしごと」「宮沢賢治の夢と修羅」「わが心の宮沢賢治」「地上星座学への招待」「一遍 癒しへの漂泊」「森の小さな方舟暮らし」「真田幸村」「織田信長」「新人物日本史・光芒の生涯」「サン テグジュぺリの宇宙『星の王子さま』とともに消えた詩人」「宮沢賢治<宇宙羊水>への旅」「海に降る雪」「つかのまの二十歳」「母を拭く夜」「四階のアメリカ」「狩られる者たち」「はにわの子たち」「神さまの親類」などがある。「海に降る雪」は地方出身の男女の恋愛を描いた作品だが、1984年に中田新一監督によって映画化された。

・山田詠美(1959~)
 小説家・作家。本名は山田双葉。明治大学文学部日本文学科中退。作家デビュー前は本名の山田双葉で漫画家をしていた。初期の作品に日本人と黒人との男女関係を描いたものが多い。これは中学時代にソウルミュージックに触れ、多くの黒人作家の小説や黒人が登場する小説を読んでいたことによる。デビュー作の「ベッドタイムアイズ」は、影響を受けた日本文学の文体を継承しつつ、黒人という“異人種”と結ぶ「女」を衝撃的に描いたもので、江藤淳らに絶賛され1985年文藝賞を受賞した。その後、受賞には至らなかったが、「ジェシーの背骨」「蝶々の纏足」が続けて芥川賞の候補に挙がった。1987年「ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー」で第97回直木賞、1989年「風葬の教室」で第17回平林たい子文学賞、1991年「トラッシュ」で第30回女流文学賞、1996年「アニマル・ロジック」で第24回泉鏡花文学賞、2000年「A2Z」で第52回読売文学賞、2005年「風味絶佳」で第41回谷崎潤一郎賞を受賞。山田の作品は、主に大人の恋愛・性愛を描くものと、子供や思春期の少年少女を描くものとの二つの系統がある。前者の作品に「ベッドタイムアイズ」「ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー」「アニマル・ロジック」など、後者に「蝶々の纏足」「風葬の教室」「放課後の音符」「晩年の子供」「僕は勉強が出来ない」などがある。このほか「指の戯れ」「ハーレムワールド」「熱帯安樂椅子」「カンヴァスの柩」「ひざまずいて足をお舐め」「チューイングガム」「4U」「MAGNET」「姫君」「学問「タイニーストーリーズ」」などがある。

・堀口大學(1892~1967年)
 詩人、フランス文学者。東京・本郷生まれ。大學という名前は、出生当時、父が大学生だったことと、出生地が東大の近所だったことに由来する。慶応大学文学部中退。17歳のとき、吉井勇の「夏のおもひで」に感動して新詩社に入門。歌人として出発した。1910年、慶應義塾大学文学部予科に入学。このころから「スバル」「三田文学」などに詩歌の発表を始めた。同門の佐藤春夫とは終生の友人だった。19歳のとき父の任地メキシコに赴くため慶応大学を中退。以後、青春時代の多くをブラジル、ベルギー、スペイン、スイス、フランス、ルーマニアなど海外諸国で過ごした。1919年、処女詩集「月光とピエロ」、処女歌集「パンの笛」を刊行。その後も創作活動は詩・歌・評論・エッセイ・翻訳など多方面に及び、生涯に刊行された著・訳書は300点を超えた。彼の斬新な訳文は当時の文学青年に多大な影響を与えた。とりわけ訳詩集「月下の一群」は、上田敏「海潮音」や永井荷風「珊瑚集」と並ぶ名訳詩集とされている。既述以外の主な作品に、詩集・歌集で「水の面に書きて」「月夜の園 抒情小曲」「新しき小径」「遠き薔薇」「砂の枕」「男ごころ」「涙の念珠」「人間の歌」「冬心抄 詩・歌・訳詩」「雪国にて」「詩集 乳房」「夕の虹」「幼露抄」「虹の花粉」「遠くかそけく」「水かがみ」「幸福のパン種」「あまい囁き」「白い花束」、評論・随筆で「ヴェルレエヌ 世界文学大綱」「季節と詩心 随筆集」「饗宴にエロスを招いて」、翻訳で「田園交響楽」「ノアの方舟」「悪の華」「ボードレール詩集」「ランボー詩集」「昼顔」「沙上の足跡 箴言集」、ポール・モーランの小説「夜ひらく」など。1958年詩集「夕の虹」で読売文学賞受賞。1967年勲三等瑞宝章を受章。

・三島由紀夫(1925~1970年)
 作家。本名は平岡公威。東大法学部在学中、ラディガ、ワイルドなど耽美派の影響の強い短編を発表。卒業後、一時、大蔵省に勤務するが、後に作家として自立。創作活動のかたわら、ボディビル、映画出演、写真モデル。晩年は自衛隊入隊、「楯の会」結成、右翼的な政治活動を行い、新右翼・民族派運動に多大な影響を及ぼした。実践行為にも自己確認の道を求め、それを支える美意識の中心に「天皇」を置く。三島文学の文体は終始レトリックを多様に使っているところが特徴だ。その表現方法は外国人作家に近い。作品は欧米にも翻訳され、ノーベル賞候補にもなった。「潮騒」(1953~54年)で第1回新潮社文学賞、「金閣寺」(1956年)で第8回読売文学賞小説部門を受賞。「美徳のよろめき」(1957年)は話題となり、“よろめき”という言葉が男女の不倫を指す流行語となった。「絹と明察」(1964年)で第6回毎日芸術賞文学部門、戯曲では「薔薇と海賊」(1956年)で週刊読売新劇賞、「十日の菊」(1961年)で第13回読売文学賞戯曲部門、「サド侯爵夫人」(1965年)で文部省芸術祭演劇部門芸術祭賞をそれぞれ受賞した。主な作品に「花ざかりの森」「仮面の告白」「愛の渇き」「禁色」「卒塔婆小町」「潮騒」「金閣寺」「鹿鳴館」「美徳のよろめき」「鏡子の家」「宴のあと」「午後の曳航」「絹と明察」「サド侯爵夫人」「春の雪」「奔馬」「天人五衰」「憂国」など多数。「潮騒」「金閣寺」「鹿鳴館」など数多くの作品が映画化・テレビドラマ化されている。70年「楯の会」を率いて自衛隊官舎に侵入、檄文を読み上げた後、割腹、自決した。新潮社は1988年、それまで主催してきた新潮社文学賞(1954~67年)、日本文学大賞(1969~87年)に代わる文学賞として「三島由紀夫賞」を創設した。
 三島由紀夫文学記念館はhttp://www.mishimayukio.jp

・宮部みゆき(1960~)
 推理作家、小説家。東京都江東区生まれ。東京都立墨田川高等学校卒。法律事務所勤務の後、小説家に。1987年「我らが隣人の犯罪」でデビュー。同作品で第26回オール読物推理小説新人賞を受賞。1988年「かまいたち」で第12回歴史文学賞佳作入選。1989年「魔術はささやく」で第2回日本推理サスペンス大賞を受賞。1992年「龍は眠る」で第45回日本推理作家協会賞を、「本所深川ふしぎ草紙」で吉川英治文学新人賞を受賞。1993年「火車」で第6回山本周五郎賞受賞。1997年「蒲生邸事件」で第18回日本SF大賞、1998年「理由」で第120回直木賞および第17回日本冒険小説協会大賞国内部門大賞、「模倣犯」で2001年、第55回毎日出版文化賞特別賞、同作品で2002年、第5回司馬遼太郎賞および第52回芸術選奨文部科学大臣賞、2006年「名もなき毒」で第41回吉川英治文学賞をそれぞれ受賞している。
このほか、「幻色江戸ごよみ」「ぼんくら」「夢にも思わない」など多数。

・宮本百合子(1899~1951年)
 作家。本名はユリ。東京市小石川区原町に生まれるが、文部省勤務の父の仕事の関係で満3歳まで札幌で育つ。日本女子大学英文科予科に入学するが、一学期だけで退学。1916年、17歳のとき、坪内逍遥らに原稿を見てもらい推敲した「貧しき人々の群れ」を「中央公論」に中条百合子の筆名で発表。28年、改造社より「伸子」を刊行。30年、全日本無産者芸術団体協議会所属の日本プロレタリア作家同盟に加盟。その後、同作家同盟の責任者となり、その雑誌「働く婦人」の編集責任者に。このとき知り合った宮本顕治と後に結婚。また、このころ日本共産党に入党。34年検挙され、6カ月にわたる留置場生活で体をこわし、この後、治安維持法違反などで検挙、拘留と病院での入院生活。表現上の制約を受けながら執筆生活を続ける。太平洋戦争後、47年10月「展望」に発表した「道標」は50年12月号まで連載され完結。「播州平野」「風知草」で47年度の毎日出版文化賞を受賞した。 

・向田邦子(1929~1981年)
 放送作家・小説家。父親が保険会社勤めで転勤が多かったため、幼少時から高校時代まで、栃木県宇都宮市、東京・目黒区、鹿児島市、香川県高松市など全国を転々としながら育った。実践女子専門学校(現在の実践女子大学)国語科卒。1952年、雄鶏社に入社し雑誌「映画ストーリー」の編集に携わるかたわら、市川三郎のもとで脚本を学んだ。1960年、雄鶏社を退社後、放送作家・脚本家となりラジオ・テレビで活躍、20年間で1000本以上の作品を手掛けた。代表作に「だいこんの花」「七人の孫」「寺内貫太郎一家」「時間ですよ」「あ・うん」「阿修羅のごとく」「隣の女」などがある。1980年には初めての短編小説「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で第83回直木賞を受賞し作家活動に入ったが、1981年8月、エッセイ集の取材旅行中、台湾の航空機事故で急逝した。主な著書に「父の詫び状」「無名仮名人名簿」「霊長類ヒト科動物図鑑」「眠る盃」「思い出トランプ」「眠り人形」「愛という字」「きんぎょの夢」「森繁の重役読本」「冬の運動会」などがある。1983年、向田の功績を称えて優れた脚本家に贈られる「向田邦子賞」が創設された。
【記念館】かごしま近代文学館(鹿児島市城山町5番1号)

・村松友視(1940~)
 作家。東京で生まれ、静岡県清水市(現在の静岡県清水区)で育った。祖父は作家の村松梢風。父の死後、祖父・梢風の子として入籍された。慶応義塾大学文学部哲学科卒。大学卒業後、予定していたテレビ局の入社試験に失敗。祖父、父の縁で1963年、中央公論社に入社。「小説中央公論」「婦人公論」「海」編集部員を経て、1981年退社。会社在籍時は唐十郎の戯曲など“既成文壇外”の作家を発掘し、名編集者ぶりを発揮した。武田泰淳「富士」、後藤明生「夢かたり」、田中小実昌「ポロポロ」、色川武大「生家へ」などを担当。吉行淳之介、野坂昭如の担当編集者でもあった。1980年、糸井重里に執筆を薦められた「私、プロレスの味方です」「当然プロレスの味方です」がベストセラーとなった。その後、「セミ・ファイナル」と「泪橋」が相次いで直木賞候補となり、これを機に退職、作家として独立。1982年「時代屋の女房」で第87回直木賞受賞。この作品は村松の代表作となり、映画化もされた。主な著書に「夢の始末書」「上海ララバイ」「作家装い」「サイゴン・ブルー」「芝居せんべい」「百合子さんは何色」「巴川」「夕日炎々」「盗まれたウェディング・ベル」などがある。

・山口瞳(1926~1995年)
 作家、エッセイスト。鎌倉アカデミアに入学。最初、無名の出版社に入社したが、限界を感じて國學院大學文学部に入り直し、1954年に卒業。河出書房に入社したが、1957年同社が倒産。1958年、開高健の推薦で寿屋(現サントリー)宣伝部に入り、PR雑誌「洋酒天国」の編集者・コピーライターとして活躍した。ハワイ旅行が当たる懸賞のコピー「トリスを飲んでHawaiへ行こう!」が代表作。「婦人画報」に連載した「江分利満氏の優雅な生活」で1962年、第48回直木賞受賞。同作品は映画化もされた。その後もしばらく二足の草鞋を履いたが、まもなく文筆業に専念するため寿屋を退社。1979年に自らの生い立ちを題材とした「血族」で第27回菊池寛賞受賞。1963年「週刊新潮」で始まったコラム・日記の「男性自身」シリーズは31年間・1614回に及んだ。シリーズ最終巻は、「江分利満氏の優雅なサヨナラ」。亡くなるまで一度も穴をあけることがなかった。主な著書に「家族「居酒屋兆治」「マジメ人間」「なんじゃもんじゃ」「結婚します」「青雲の志について 鳥井信治郎伝」「同行百歳」「山口瞳血涙十番勝負」「草野球必勝法」(エッセイ)、「草競馬流浪記」「日本競馬論序説」(共著)などがある。

・よしもとばなな(1964~)
 作家。本名は吉本真秀子(まほこ)、旧筆名は吉本ばなな。父は批評家、詩人の吉本隆明。日本大学芸術学部文芸学科卒。10歳ごろから大島弓子や岩館真理子を愛読。小説家を志したのも早く、小学3年生のとき小説を書き始めたという。大学卒業制作の「ムーンライトシャドウ」が学部長賞を受賞、これによりプロでやっていく自信をつけた。大学卒業後は就職せず、浅草にあった、糸井重里経営の喫茶店でウェイトレスをしながら執筆を続けた。1987年「キッチン」で「海燕」新人文学賞、1988年単行本「キッチン」で泉鏡花文学賞、1989年「TUGUMI」で山本周五郎賞をそれぞれ受賞。海外での評価も高く、1996年イタリアのスカンノ賞、フェンディッシメ文学賞を受賞。「白河夜船」「N・P」「アムリタ(上・下)」で1995年、紫式部文学賞、2000年「不倫と南米」でドゥマゴ文学賞を受賞。「ハゴロモ」「哀しい予感」「ハネムーン」「とかげ」「みずうみ」「イルカ」「デッドエンドの思い出」「チエちゃんと私」「まぼろしハワイ」など著書多数。2002年8月「王国-その1アンドロメダ・ハイツ」刊行より「吉本ばなな」から「よしもとばなな」に改名した。

・岸田國士(1890~1954年)
 劇作家・演出家。読みは「きしだくにお」。東京市四谷区(現在の新宿区)生まれ。岸田家は旧紀州藩士の家系。陸軍士官学校を経て少尉に任官、久留米の第48歩兵連隊に配属される。だが、文学への思いを断てず、父の勘当を受けながらも、軍籍を離れ、28歳で東京帝国大学文科大学に仏文選科生として入学。フランス文学や近代演劇を学び、鈴木信太郎、辰野隆、豊島与志雄、関根秀雄らと親交を結んだ。その後、パリに遊学したが、父の死去により1923年帰国。豊島与志雄を介して、紹介された山本有三が編集する「演劇新潮」に処女戯曲「古い玩具」を発表し注目された。その後も同誌に、1924~25年、戯曲「チロルの秋」「軌道」「命を弄ぶ男ふたり」「ぶらんこ」を発表。「文藝春秋」に戯曲「紙風船」を発表した。こうして岸田は、フランス近代劇を研究、わが国の新劇運動を指導するとともに、コンスタントに戯曲を発表し続けた。1929年から1935年にかけての「牛山ホテル」「ママ先生とその夫」「浅間山」「歳月」などがそれだ。1936年には長編小説「落葉日記」を発表。既述以外の主な作品に戯曲「女人渇仰」「カライ博士の臨終」小説「由利旗江」「暖流」「双面神」、翻訳「ルナアル日記」などがある。1937年には、顧問を務めていた築地座を発展的に解消、岩田豊雄、久保田万太郎らと「文学座」を創設した。
 【岸田國士戯曲賞】1955年に新劇戯曲賞として創設され、1961年に新潮社の岸田演劇賞を吸収合併して「新劇」岸田戯曲賞となった。その後、1979年に「岸田國士戯曲賞」と改称され、今日に至っている。劇作家、岸田國士の遺志を顕彰するとともに、若手劇作家の育成を目的に白水社が主催する戯曲賞。新人劇作家の登竜門とされ、「演劇界の芥川賞」という異名を持つが、ベテラン作家の受賞も多い。

・清水一行(1931~2010年)
 作家。東京・向島生まれ。早稲田大学法学部中退後、全日本産業別労働組合会議本部書記、労働問題関連団体出版部員を経て、週刊誌のフリーライターとして活躍。1966年「小説 兜町」で文壇デビュー。綿密な取材とパワフルな筆致で次々に企業小説の力作を発表。城山三郎、高杉良らと並び、日本における経済小説の、確固たる地位を築く。1975年に「動脈列島」で第28回日本推理作家協会賞を受賞。産業・経済活動の中で起こった様々な出来事や事績・事件などを題材に、それに関わった企業・当事者および関係者をモデルにした作品が数多い。「虚業集団」(総会屋・芳賀龍臥)、「欲望集団」(ロシア船ナヒモフ号引き上げ、日本船舶振興会会長・笹川良一)、「毒煙都市」(三井三池炭鉱爆発事件、大牟田赤痢事件)、「同族企業」(ヤマハ発動機)、「世襲企業」(マツダ)、「器に非ず」(本田技研副社長・藤沢武夫)、「女帝」(尾上縫)、「首位戦争」(ヤマハ発動機、本田技研)、「燃え尽きる 小説 牧田与一郎」、「時効成立 三億円事件」、「花の嵐 小説 小佐野賢治」など。既述以外の主な著書に「重役室」「覆面工場」「副社長」「頭取室」「血の河」「株価操作」「買占め」「小説 財界」「相場師」「女重役」「切捨人事」「指名解雇」「虚構大学」「冷血集団」「取締役解任」「名門企業」「女相場死」「汚名」「悪名集団」「単身赴任」「醜聞」「逆転の歯車」「敵対的買収」「架空集団」「内部告発」「出向拒否」「秘密な事情」「君臨」「一瞬の寵児」「社長の品格」など多数。

神奈川県
・野坂昭如(1930~)

 作家。神奈川県鎌倉生まれ。放送作家としての別名は「阿木由紀夫」。早稲田大学文学部仏文科中退。幼少の頃、養子に行き神戸で育つ。戦災で養父母を失い孤児となり、実家に引き取られた。大学在学中、三木鶏郎事務所で経理として勤務したが度々計算が合わずクビになり、同事務所の「文芸部」所属となった。各種職業を転々とし、放送作家やCMソングの作詞者として活躍、1956年大学を中退した。1963年、自身の体験を基に書いた「エロ事師たち」で作家としてデビュー。同年、「おもちゃのチャチャチャ」で第5回日本レコード大賞作詞賞を受賞。1968年「アメリカひじき・火垂るの墓」で第58回直木賞を受賞。「火垂るの墓」は1945年、下の妹を疎開先の福井県で栄養失調で亡くした経験を基に、その贖罪のつもりで執筆したものだ。1985年「我が闘争 こけつまろびつ闇を撃て」で講談社エッセイ賞、1997年「同心円」で吉川英治文学賞、2002年「文壇」およびそれに至る作品で泉鏡花文学賞、2009年には安吾賞 新潟市特別賞を受賞。「焼跡闇市派」を名乗り、その体験が既存の右翼・左翼それぞれを批判していく評論活動を行った。また、野坂は1973年、当時編集者を務めていた月刊誌「面白半分」に掲載した「四畳半襖の下張」(永井荷風著)について、刑法175条「わいせつ文書の販売」違反に問われ起訴されている。既述以外の作品に「骨餓身峠死人葛」「騒動師たち」「てろてろ」「一九四五・夏・神戸」「ひとでなし」など小説のほか、「漂泊の思想」「おたがいの思想」「吾輩は猫が好き」などのエッセイ集がある。

・夢枕獏(1951~)
 作家。神奈川県小田原市生まれ。本名は米山峰夫。1973年、東海大学日本文学科卒。1977年、雑誌「奇想天外」に「カエルの死」を書いてデビュー。圧倒的な人気を博する「陰陽師」「魔獣狩り」「餓狼伝」の各シリーズをはじめ、山岳、冒険、ミステリー、幻想小説などの分野で広範な読者を魅了し続けている。1988年から執筆開始した安倍晴明を主役とした「陰陽師」シリーズは近年の晴明ブームのきっかけとなった。漫画の原作となった作品も数多く、中でも「餓狼伝」は谷口ジロー、板垣恵介、「陰陽師」は岡野玲子、「荒野に獣慟哭す」は伊藤勢という実力派によって漫画家されている。1989年「上弦の月を喰べる獅子」で第10回日本SF大賞受賞、1990年、同じ「上弦の月を喰べる獅子」で第21回星雲賞(日本長編部門)、1991年「上段の突きを喰らう猪獅子」で第22回星雲賞(日本短編部門)、1998年「神々の山嶺」で第11回平成10年度柴田錬三郎賞を受賞。2001年「神々の山嶺」で第5回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞し、同年には狂言師・野村萬斎主演で「陰陽師」が東宝で映画化され、大ヒットした。また、2007年には「大帝の剣」が東映で映画化された。

山梨県
・林真理子(1954~)

 作家。本名は東郷眞理子。日本大学芸術学部文芸学科卒。コピーライターとして活動、1981年、西友ストアー向け広告コピー「つくりながら、つくろいながら、くつろいでいる」でTCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞受賞。1979年エッセイ集「ルンルンを買っておうちに帰ろう」を出版、エッセイストとしてデビュー。処女小説「星影のステラ」が直木賞候補に選出されたことを機に執筆業に専念。86年「最終便に間に合えば」「京都まで」で第94回直木賞。1995年「白蓮れんれん」で第8回柴田錬三郎賞、1998年「みんなの秘密」で第32回吉川英治文学賞を受賞。主な作品に「ミカドの淑女」「素晴らしき家族旅行」「女文士」「幸福御礼」「不機嫌な果実」「強運な女になる」「着物をめぐる物語」「葡萄物語」「コスメティック」「ロスト・ワールド」「美女入門PART1,2,3」「死ぬほど好き」「花探し」「ミスキャスト」「初夜」「ウェディング日記」「大人の事情」「美は惜しみなく奪う」「愛すればこそ…」「南青山ルンルンパラダイス」「美食倶楽部」「失恋カレンダー」「どこかへ行きたい」「星に願いを」「キス・キス・キス」「イミテーション・ゴールド」「幕はおりたのだろうか」「旅は靴ずれ 夜は寝酒」「ウフフのお話」「街角に投げキッス」「テネシーワルツ」「ルンルン症候群」など多数。

・檀一雄(1912~1976年)
 作家。山梨県南都留郡谷村村(現在の山梨県都留市下谷)生まれ。東京帝国大学経済学部卒。女優檀ふみの父。最後の「無頼派」と呼ばれ、太宰治とともに「同世代の両鬼才」とも称された。佐藤春夫に師事。1934年、太宰治、中原中也、森敦らと「青い花」を創刊、翌年、日本浪漫派に合流した。太宰治の死後、坂口安吾とも交流を持った。1935年は「夕張胡亭塾景観」で第2回芥川賞候補に、1942年は「吉野の花」で第17回芥川賞候補に。1944年「天明」で野間文芸奨励賞受賞。1950年「真説 石川五右衛門」「長恨歌」で第24回直木賞受賞。20年以上にわたり書き続け、ライフワークとなった遺作「火宅の人」(1976年)で第27回読売文学賞小説賞、第8回日本文学大賞を受賞。この作品は1986年、東映で緒形拳主演、深作欣二監督で映画化された。私小説や歴史小説、料理の本なども著した。代表作に、律子夫人の没後に描いた「リツ子 その愛」「リツ子 その死」はじめ、「花筐(はながたみ)」「ペンギン記」「誕生」「美味放浪記」「わが百味真髄」「漂蕩の自由」「新説国定忠治」など多数。

長野県
・平林たい子(1905~1972年)

 作家。本名は平林タイ。旧・諏訪郡中洲村生まれ。旧・諏訪高等女学校(土屋文明校長、現在の長野県諏訪二葉高等学校)卒業後上京。アナーキストグループと朝鮮半島や中国東北部を放浪、結婚。昭和初期からプロレタリア作家として執筆を開始。中国・大連の病院での出産体験に基づき描いた「施療室にて」がある。病と貧しさに耐えながら反戦の意思を貫いた。戦後多くの作品を発表。「かういふ女」で第1回女流文学賞を受賞。市川房枝などとも交流をもち、婦人運動家、社会運動家としても知られた。ただ、戦後は転向文学の代表的作家ともいわれ、反共・右派色を強めていった。作品は同時代の文学者や平林自身をモデルに創作された小説のほか、社会時評、随筆など多岐にわたる。主な作品に「私は生きる」「一人で行く」「鬼子母神」「砂漠の花」「秘密」(第7回女流文学賞)、遺作となった「宮本百合子」など多数。恩賜賞、内閣総理大臣賞、紺綬褒章を受ける。遺言により「平林たい子文学賞」創設されたが、同賞は1997年の第25回をもって終了した。
【記念館】平林たい子記念館(長野県諏訪市中洲福島)

・百瀬明治(1941~)
 作家。筆名は「ももせ めいじ」。松本市生まれ。京都大学文学部史学科卒。「表象」同人、平凡社で「季刊 歴史と文学」編集長を経て38歳から著述業に。歴史作家として、とくに仏教史、宗教史に詳しい。日本史へのユニークな視点、論調で読者の熱い支持を得ている。会田雄次、邦光史郎、奈良本辰也らとの共著も多い。主な著書に「日本型リーダーの魅力」「武将と名僧」「日蓮の謎 激動の今日の甦る“生の哲学”」「大実業家・蓮如 親鸞を継ぎ日本最大の組織を創った男」「暗殺の歴史 陰の日本史」「日本歴史の旅」「名僧人物伝 日本的発想の研究」「ブレーンの力 武将の戦略を支えた名僧たち」「軍師の研究 企業を甦らせる参謀学」「開祖物語 仏教の道を開いた超人たち」「『適塾』の研究 なぜ逸材が輩出したか」「京都・宗祖の旅 最澄」「京都・宗祖の旅 道元」「名僧百言 智慧を浴びる」「戦国名将の条件・参謀の条件」「『安部晴明』ワールド 現代に生きる千年の“闇”」「心をつかむ祖師・高僧の生き方・考え方」「高野山 超人・空海の謎 真言密教と末法思想の源流とは」「信玄と信長『天下』への戦略」「生きる極意 足利尊氏『悪の行動学』」「小説 蓮如」「徳川吉宗」「徳川秀忠」「徳川慶喜」「出口王仁三郎の生涯 カリスマ性と合理性を合わせ持つ男」「坂本龍馬おもしろ事典」、また共著に「平家物語の舞台裏」(邦光史郎)、「戦国武将新研究 危機突破の必勝経営術」(会田雄次)、「明治維新の本願寺 日本最大の民衆宗教はいかに激動の時代を生き抜いたか」(奈良本辰也)、「危機の行動力 幕末人物新研究」(会田雄次)、「徳川三代天下人への賭け」(高野澄)など多数。

岐阜県
・小島信夫(1915~2006年)

 作家。岐阜県稲葉郡加納町(現在の岐阜県加納安良町)生まれ。東京帝国大学文学部英文科卒。1942から中国東北部で従軍。1946年復員。1949年東京都立小石川高等学校で教職、1954年明治大学工学部助教授、1961年同大教授として1985年の定年まで在任、かたわら創作活動や翻訳に励んだ。初期には実存的なテーマの小説を書いて、吉行淳之介、遠藤周作、安岡章太郎らとともに「第三の新人」と呼ばれた。1954年「アメリカン・スクール」で第32芥川賞、1965年「抱擁家族」で第1回谷崎潤一郎賞。1972年「私の作家評伝」で芸術選奨文部大臣賞。1981年「私の作家遍歴」で第13回日本文学大賞、1982年「別れる理由」で第36回野間文芸賞、1997年「うるわしき日々」で第49回読売文学賞。このほか「各務原・名古屋・国立」、保坂和志との共著「小説修業」、「微笑」「残酷日記」「島」「裁判」「愛の完結」「夜と昼の鎖」「墓碑銘」「弱い結婚」「愛の発掘」「異郷の道化師」「ハッピネス」「釣堀池」「夫のいない部屋」「女たち」「静温な日々」「こよなく愛した」などがある。2006年、遺作「残光」を発表後、肺炎で死去。

愛知県
・大沢在昌(1956~)

 作家。名古屋市生まれ。慶応義塾大学法学部中退。少年時代から「名探偵カッレくん」シリーズや「シャーロック・ホームズ」シリーズなどの推理小説を愛読。中学時代はレイモンド・チャンドラーをはじめとするアメリカン・ハードボイルドを乱読した。日本の作品ではとくに生島治郎の作品群に心酔していた。1979年「感傷の街角」で第1回小説推理新人賞を受賞後デビュー。だが、当初は全く売れなかった。その後、1986年「深夜曲馬団」で第4回日本冒険小説協会最優秀短編賞を、91年「新宿鮫」で第12回吉川英治文学新人賞、第44回日本推理作家協会賞、94年「新宿鮫 無間人形」で第110回直木賞をそれぞれ受賞。大沢の作品が大ブレークしたのは1990年「新宿鮫」からだ。この作品の刊行直後から大反響を呼び、「このミステリーがすごい」ランキング1位に輝きベストセラーとなった。その後、2001年「心は重すぎる」で第19回日本冒険小説協会日本軍大賞、2002年「闇先案内人」で第20回日本冒険小説協会日本軍大賞と2年連続受賞した。2004年「パンドラ・アイランド」で第17回柴田錬三郎賞、2006年「狼花 新宿鮫Ⅸ」で第25回日本冒険小説協会日本軍大賞、2010年には日本ミステリー文学大賞を受賞。「新宿鮫シリーズ」「佐久間公シリーズ」「ケン・ヨヨギシリーズ」「いやいやクリスシリーズ」などがある。主な作品は「夏からの長い旅」「ジャングルの儀式」「毒猿」など。

・宮城谷昌光(1945~)
 作家。本名は宮城谷誠一(みやぎたに せいいち)愛知県蒲郡市生まれ。早稲田大学第一文学部英文科卒。大学卒業後、出版会社勤務や家業の土産物屋を手伝いなどを経て、郷里で英語塾を開いていたが、作家として名が売れるまで苦しい生活が長く続いた。最初は恋愛小説を書いていたが、次第に歴史に関心が移り、歴史小説に移行。「史記」をはじめとする漢籍を修めただけでなく、白川静に深い影響を受けて金文や甲骨文字まで独学で学んだ。殷、周、春秋戦国時代など古代中国の偉人にスポットを当てた作品が多い。「王家の風日」がわずか500部刊行にもかかわらず、司馬遼太郎の目にとまり、葉書をもらったという。また「天空の舟」が司馬の激賞を受け、この作品が出世作となった。1991年、「天空の舟」で新田次郎文学賞、「夏姫春秋」で第105回直木賞、1993年「重耳」で第44回芸術選奨文部大人賞を受賞。1996年には「中国歴史小説の分野に新境地を開く作家活動」に対して中日文化賞が贈られている。2000年に第3回司馬遼太郎賞、2001年「子産」で第35回吉川英治文学賞、2004年に第52回菊池寛賞を受賞。2006年に紫綬褒章を受章。既述以外の主な作品に「楽毅」「晏子」「孟嘗君」「奇貨居くべし」「太公望」「三国志」「香乱記」「管中」「侠骨記」「花の歳月」「沈黙の王」「芥子推」「長城のかげ」「孟夏の太陽」「青雲はるかに」などがある。

三重県
・田村泰次郎(1911~1983年)

 作家。三重県四日市市出身。早稲田大学文学部仏文科卒。大学在学中から小説、評論などを次々と発表し、有望な新人と目されていた。太平洋戦争に応召され中国各地を転戦。敗戦後、46年帰還。男女の肉体と欲望を描くことで、人間の魂に迫ろうとする作品で戦後文壇に華々しく躍り出た。1946年の「肉体の悪魔」、1947年の「肉体の門」がそれだ。この肉体の解放こそ人間の解放だという主張は、戦後の混乱期に画期的な形で迎えられ、肉体文学の作家として熱狂的に支持され、目覚しい活躍をした。だが、次第に風俗小説家的傾きを示すに至った。既述以外の主な作品に「春婦伝「男鹿」「地雷原」「蝗」「失われた男」「兵士の物語」「深い傷のなかで」「不良少女」「今日われ欲情す」「刺青」「肉塊」「女の復讐」「女の一生」「暗い渇き」「東京不夜城」「都会の虹」「白い望楼」「入道雲」「南風薫るところ」「女学生群」「夢去り 夢来る」「転落の薔薇」「女豹の地図」「情婦の火」「風の中の女たち」「泥んこ夫人」「愛の歴史」「天使は生きている」「旅情」「若い裸像」「肌の孤独」などがある。

・松尾芭蕉(1644~1694年)
 江戸中期の俳人。伊賀上野生まれ。名は宗房。号は「はせを」と自署。別号は桃青・泊船堂・釣月庵・風羅坊など。藤堂良精の子良忠(俳号蝉吟)の近習となり、俳諧を志した。一時京都にあり、北村季吟にも師事。のち、29歳のとき単身、江戸に下り水道工事などに従事したが、やがて深川の芭蕉に移り、談林の俳風を超えて、それまでの連歌から俳句を確立させ、俳諧に高い文芸性を賦与し、蕉風を創始。その間各地を旅して多くの名句と紀行文を残した。1689年、45歳のとき、門人の河合曾良を伴って「奥の細道」の旅に出た。生涯を閉じる51歳まで旅の連続で、大坂・難波の旅舎で亡くなった。主な紀行・日記に「野晒紀行」「笈の小文」「更科紀行」「奥の細道」「嵯峨日記」「江戸三吟」「江戸通り町」「江戸新道」などがある。「俳聖」と称せられ、世界的にも知られる日本史上最高の俳諧師の一人。
 「旅に病んで夢は枯れ野ををかけめぐる」の辞世で知られ、上記の通り、芭蕉の終焉地は大阪で、かつては御堂筋に石碑が建てられていた。が、御堂筋の拡幅工事のあおりで取り壊され、現在は大阪市中央区久太郎町3丁目5付近の御堂筋の本線と側道の間のグリーンベルトに石碑が建てられている。また、芭蕉自身の生前の「(墓は)木曽殿の隣に」という遺言により、大津市膳所の義仲寺(ぎちゅうじ)にある木曽義仲の墓の隣に葬られている。
【記念館】芭蕉翁記念館(三重県伊賀市上野丸之内117 http://www.ict.ne.jp/~basho-bp/)
     江東区芭蕉記念館(東京都江東区)
     山寺芭蕉記念館(山形市大字山寺字南院4223 http://yamadera-basho.jp/)
     芭蕉記念館(福島県須賀川市)

石川県
・桐野夏生(1951~)

 推理作家・小説家。金沢市生まれ。別のペンネーム「野原野枝実(のはらのえみ)」や「桐野夏子」でロマンス小説、ジュニア小説のほか、森園みるくのレディースコミックの原作も手掛けている。妊娠中に友人に誘われ、ロマンス小説を書いて応募し、佳作当選。以後、小説を書くのが面白くなって書き続けたという。ミステリー小説第一作として応募した「顔に降りかかる雨」(1994年)で第39回江戸川乱歩賞受賞。1997年発表の「OUT」は大好評で、「このミステリーがすごい!」の年間アンケートで国内第1位に選ばれ、第51回日本推理作家協会賞を受賞した。この作品は、平凡なパート主婦の仲間が犯罪にのめり込んでいくプロセスを克明に描いて評判を呼び、日本での出版七年後にも米国エドガ賞にノミネートされ、国際的にも評価が高い。1999年「柔らかな頬」で第121回直木賞受賞。2004年「残虐記」で第17回柴田錬三郎賞、2005年「魂萌え」で第5回婦人公論文芸賞、2008年「東京島」で谷崎潤一郎賞、2009年「女神記」で紫式部文学賞、2010年「ナニカアル」で島清恋愛文学賞、読売文学賞と数多くの文学賞を受賞。既述以外の主な作品に「光源」「玉蘭」「ローズガーデン」「天使に見捨てられた夜」「ファイアボール・ブルース」「グロテスク」など多数。

福井県
・津村節子(1928~)

 作家。本名は吉村節子(旧姓は北原)。夫は作家の故・吉村昭。学習院短期大学国文学科卒。吉村昭とともに丹羽文雄主宰の同人誌「文学者」、小田仁二郎主宰の同人誌「Z」などに参加し作品を発表した。結婚後も「北原節子」名義で執筆していた。が、同姓同名の編集者兼随筆家と知り合ったことで改名を決意。当時愛読していた映画評論家・津村秀夫、詩人・津村信夫兄弟から苗字を採ってペンネーム「津村節子」で以後、創作執筆するようになった。3度の直木賞候補、1度の芥川賞候補を経て、1965年「玩具」で第53回芥川賞受賞。当時、女流文学者の芥川賞は珍しく、話題となり「玩具」はベストセラーとなった。1990年「流星雨」により第29回女流文学賞。「智恵子飛ぶ」で1998年、芸術選奨文部大臣賞受賞。また、1999年、福井新聞文化賞、2011年、短編「異郷」で第37回川端康成文学賞を受賞。既述以外の主な作品に「海鳴」「白百合の崖」「瑠璃色の石」「恋人」「華燭」「女の椅子」「青い実の熟すころ」「夜光時計」「さい果て」「ふれあう心 女の生きがいと幸せの在処」「婚約者」「欲望の海」「女」「炎の舞い」「娼婦たちの暦」「春の予感」「遅咲きの梅」「ひめごと」「春のかけら」「重い歳月」「空中楼閣」「女の引出し」「女の居場所」「惑い」「幸福の条件」「花時計」「合わせ鏡」「花かたみ」などがある。

・中野重治(1902~1979年)
 作家。福井県坂井郡高椋村(現在の坂井市丸岡町)生まれ。東京帝国大学文学部独文科中退。佐藤春夫・斎藤茂吉・室生犀星らを愛読。犀星とは生涯にわたって親交があった。当時進歩派学生の拠点だった「新人会」に加わって労働争議などで活動。一方、堀辰雄、窪川鶴二郎らと同人誌「驢馬」を創刊、芥川龍之介などとも接触した。1931年に日本共産党に入党。度重なる逮捕検束にめげず「戦旗」の編集に参加。1934年、転向を条件に出獄した。ただ転向以後も文学者として抵抗、転向小説五部作などによって時流批判を続けたため、1937年には宮本百合子や戸坂潤、岡邦雄らとともに執筆禁止の処分を受けた。終戦直後の1945年、日本共産党に再入党。また新しい文学の出発を願い、宮本百合子や蔵原惟人らとともに新日本文学会を創立し、「新日本文学」の創刊に加わるなど民主主義文学の発展のために精力的に活動した。しかし、1964年には日本共産党と政治理論で対立して除名された。ただ、神山茂夫とともに「日本共産党批判」を出版したように、最期まで日本の左翼運動・文学運動に身を投じた生涯だった。そのため、転向後も、日本共産党との決別後も、清澄な眼光に貫かれたリアリズム手法で、信念に生きる自己を守ることの痛苦を込めた、優れた作品を書き続けた。主な作品に小説「むらぎも」「梨の花」「歌のわかれ」「甲乙丙丁」、評論「斎藤茂吉ノオト」詩集「空想家とシナリオ」「鉄の話」「村の家」「中野重治詩集」「啄木」「鷗外 その側面」「話すことと書くことと」「忘れぬうちに」「事実に立って」「室生犀星」「小林多喜二と宮本百合子」「愛しき者へ」「敗戦前日記」など。毎日出版文化賞(1955年)、読売文学賞(1960年)、朝日賞(1978年)を受賞。

・水上勉(1919~2004年)
 作家。本姓は「みずかみ」、ペンネームは「みなかみ」。福井県大飯郡本郷村(現在のおおい町)生まれ。9歳で天竜寺派の寺に預けられ、花園中学を卒業。還俗して立命館大学文学部国文科に入るも中退・のち上京して洋服の行商など各種の職業を転々とし、1946年、作家の宇野浩二に師事。1948年、処女作「フライパンの歌」を出版。1959年「霧と影」、1960年「海の牙」で推理作家としても注目され、1961年第14回日本探偵作家クラブ賞、同年「雁の寺」で第45回直木賞受賞。作家としての地位を確立した。1964年「くるま椅子の歌」で第4回婦人公論読者賞、1965年「城」で第27回文藝春秋読者賞、1971年「宇野浩二伝」で第19回菊池寛賞受賞。1973年「北国の女の物語」「兵卒の鬚」で第7回吉川英治文学賞、1975年「一休」で第11回谷崎潤一郎賞、1977年「寺泊」で第4回川端康成文学賞、1981年「あひるの靴」(戯曲)で第16回斎田喬戯曲賞、1984年「良寛」で毎日芸術賞、1986年には第42回日本芸術院賞・恩賜賞を受賞。代表作に「飢餓海峡」「越前竹人形」「五番町夕霧楼」「古河力作の生涯」「はなれ瞽女おりん」「金閣炎上」「湖の琴」「越後つついし親不知」「沙羅の門」「冥府の月」「わが六道の闇夜」「好色」「越前一乗谷」「海の葬祭」「那智滝情死考」「若狭幻想」「洛北女人館」「文壇放浪」「弥陀の舞」「高瀬川」「しがらき物語」などがある。

京都府
・山村美紗(1934~1996年)

 作家。父の仕事の関係で、日本統治下の朝鮮・京城(現在のソウル)で生まれ育ち、帰国後、京都府立女子短期大学文学部国文科卒。京都市内の中学教諭として教壇に立ったほか、その後はフリーのライターとしてテレビドラマ「特別機動捜査隊」の脚本を担当し、生計を立てていた。1970年「京城の死」で江戸川乱歩賞候補、翌年「死体はクーラーが好き」が小説サンデー毎日新人賞候補となり、その後、1974年「マラッカの海に消えた」で本格的に作家デビュー。トリックの女王と賞賛され、京都を舞台にした華やかなミステリーで若い女性の絶賛を得た。「ヘアーデザイナー殺人事件」「卒塔婆小町が死んだ」ほかで、探偵役として活躍するアメリカ大富豪の美しい娘「ミス・キャサリン」シリーズはじめ、「京都清水坂殺人事件」ほかの「女検視官 江夏冬子」シリーズ、「祇園舞妓 小菊」シリーズ、「葬儀屋 石原明子」シリーズ、「狩矢警部」シリーズ、「不倫調査員・片山由美」シリーズ、「看護婦・戸田鮎子」シリーズなど多くの人気シリーズを執筆、その作品の多くはテレビ朝日、フジテレビ、TBSテレビ、テレビ東京などでテレビドラマ化されている。

大阪府
・有栖川有栖(1959~)

 作家。本名は上原正英。大阪市出身。同志社大法学部法律学科卒。同志社大学在学中から推理小説研究会に所属して創作などで活躍。大学卒業後、書店勤務のかたわら、1989年「鮎川哲也と13の謎」の一冊、「月光ゲーム Yの悲劇88」でデビュー。しばらくは兼業作家として活動するが、1994年に35歳で書店を退職して専業作家となった。1999年から綾辻行人との共作で、テレビ推理番組「安楽椅子探偵」シリーズの原作を担当。2003年「マレー鉄道の謎」で日本推理作家協会賞、2006年10月から読売新聞で「有栖川有栖さんとつくる不思議の物語」の講評を担当している。2008年「女王国の城」で第8回本格ミステリ大賞小説部門を受賞。作風は前期エラリー・クィーンの影響が色濃い。作品に登場する探偵は臨床犯罪学者・火村英生と、英都大学推理小説研究会の部長・江神二郎の二人。「作家アリス」シリーズと「学生アリス」シリーズがある。前者のシリーズ作品に「マジックミラー」「46番目の密室」「ロシア紅茶の謎」「スウェーデン館の謎」「英国庭園の謎」「ブラジル蝶の謎」など、後者のシリーズに「月光ゲーム Yの悲劇88」「孤島パズル」「双頭の悪魔」「女王国の城」など著書多数。

・井原西鶴(1642~1693年)
 俳人・小説家。本名は平山藤五。15歳ころ、俳諧を学び始める。1675年、34歳のとき剃髪、法体となる。50年余の生涯で自由闊達に生きた。わずか1日で2万を超える句を詠んだといわれ、10年余りで30もの作品(小説)を世に送り出した。その作風は実に多様で、江戸時代前期、300年以上も前の人物でありながら、幸田露伴、樋口一葉、芥川龍之介、太宰治、吉行淳之介など、近代から現代の作家たちにも様々な影響を与えてきた。1682年、最初の浮世草子「好色一代男」の刊行、大ヒットをきっかけに小説家に転身。ただ、当時は俳句の方が小説よりも芸術として上位に見られていたため、終生俳人のプライドを軸にしながら生涯最後の10年間を小説にも活躍の場を広げた。作品は大別すると、愛欲の世界を描く好色物、武士社会を扱う武家物、説話を換骨奪胎した雑話物、経済生活を描く町人物に分類される。現代風に表現すれば稀代のマルチタレントだったといえよう。主な作品は「諸艶大鑑」(好色二代男)、「西鶴諸国ばなし」「椀久(わんきゅう)一世の物語」「好色五人女」「好色一代女」「男色大鑑」「懐硯(ふところすずり)」「武家伝来記」「日本永代蔵」「武家義理物語」「嵐無常物語」「色里三所世帯」「好色盛衰記」「新可笑記」「本朝桜陰比事」「世間胸算用」など多数。

・大宅壮一(1900~1970年)
 ジャーナリスト・評論家。大阪府三島郡富田村(現在の高槻市)生まれ。東京帝国大学文学部社会学科中退(学費未納で除籍)。ジャーナリストの大宅映子は氏の三女。戦後の日本を代表するマスコミ人。毒舌の社会評論家として有名。1960年ごろから亡くなるまでの10年間はとくに活動が凝縮されている。1967年に「大宅壮一東京マスコミ塾」(略称;大宅マスコミ塾)を開塾。亡くなるまで8期480名の塾生を送り出した。その守備範囲の広さと、「一億総白痴化」「駅弁大学」「男の顔は履歴書である」「恐妻」「口コミ」「太陽族」など無数の新造語によって大活躍、“マスコミ天皇”と呼ばれた。太平洋戦争中の1941年には海軍宣伝班として、ジャワ作戦に配属された。没年の1970年から、彼の名を被せた「大宅壮一ノンフィクション賞」が創設され、毎年気鋭のノンフィクション作品に与えられている。著名な門下生に草柳大蔵(ジャーナリスト)、植田康夫(上智大学名誉教授)、村上兵衛などがいる。

・小松左京(1931~)
 作家。大阪市西区で生まれ、兵庫県神戸市で育った。本名は小松実。京大文学部卒。1961年「地には平和を」でSFコンテスト選外努力賞。1964年に処女長編「日本アパッチ族」を発表。1971年「継ぐのは誰か?」で第2回星雲賞(日本長編部門)受賞、1973年「結晶星団」で第4回星雲賞(日本短編部門)受賞、1974年「日本沈没」で第27回日本推理作家協会賞、第5回星雲賞(日本長編部門)受賞、1976年「ヴォミーサ」で第7回星雲賞(日本短編部門)受賞、1978年「ゴルディアスの結び目」で第9回星雲賞(日本短編部門)受賞、1983年「さよならジュピター」で第14回星雲賞(日本長編部門)受賞、1985年「首都消失」で第6回日本SF大賞受賞。星新一・筒井康隆とともに「「御三家」と呼ばれる日本SF界を代表するSF作家。1970年の大阪万博でテーマ館のサブ・プロデューサー、1990年の国際花と緑の博覧会の総合プロデューサーとしても知られる。
既述以外の主な作品に「復活の日」「エスパイ」「空中都市008アオゾラ市のものがたり」「見知らぬ明日」「宇宙漂流」「地球になった男」「怨霊の国」「アダムの裔」「御先祖様万歳」「さらば幽霊」「時空道中膝栗毛」「遷都」「あやつり心中」など多数。「日本沈没」や「復活の日」は映画化され大きな話題となった。

・庄野潤三(1921~2009年)
 作家。大阪府東成郡住吉村(現在の大阪市)出身。九州帝国大学法文学部を2年で終え、繰り上げ卒業。1学年上に島尾敏雄がいた。海軍に入る。戦後、大阪市内の高等学校教職を経て朝日放送に勤め、小説を書き始める。1954年「プールサイド小景」で第32回芥川賞受賞。1960年の「静物」で新潮社文学賞。1965年の「夕べの雲」で読売文学賞、1969年「紺野機業場」で芸術選奨文部大臣賞、1971年「絵合せ」で野間文藝賞、1972年の「明夫と良二」で赤い鳥文学賞、毎日出版文化賞、1973年日本芸術院賞を受賞。このほか、既述以外の主な著作に「貝がらと海の音」「庭のつるばら」「うさぎのミミリー」「結婚」「ガンビア滞在記」「ザボンの花」「つむぎ唄」「道」「鳥」「前途」「クロッカスの花」「小えびの群れ」「屋根」「野鴨」「御代の稲妻」「早春」「山の上に憩いあり」「ぎぼしの花」「サヴォイ・オペラ」「世をへだてて」「文学交遊録」「野菜讃歌」「孫の結婚式」「星に願いを」「休みのあくる日」などがある。

・高橋和巳(1931~1971年)
 作家。大阪市浪速区生まれ。京大文学部中国文学科卒。夫人は作家の高橋たか子。京大学友に小松左京、大島渚らがいる。大学院博士課程時代の1959年、同人誌「VIKING」で執筆。同年、立命館大学講師就任。白川静、梅原猛らと交流を持つ。その後、明治大学文学部助教授、京都大学文学部助教授を歴任するかたわら、執筆活動する。1969年、大学紛争の最中、白川事件に抗議し、京都大学文学部助教授を辞任。中国文学者として中国古典を現代人に語ることに努めるかたわら、現代社会の様々な問題について発言し、全共闘世代の間で多くの読者を得た。わずか39歳の若さで、結腸癌で亡くなった。惜しまれる死だった。第1回文藝賞を受賞した処女作、小説「悲の器」(1962年)はじめ「憂鬱な党派」「邪宗門」「我が心は石にあらず」「散華」「堕落」「捨子物語」「白く塗りたる墓」「黄昏の橋」、評論集「文学の責任」「孤立無援の思想」「新しき長城」「孤立の憂愁の中で」「わが解体」「日本の悪霊」「生涯にわたる阿修羅として」などがある。

・高橋三千網(1948~)
 作家。大阪府豊中市生まれ。3歳のとき東京都に転居。サンフランシスコ州立大創作科、早稲田大学英文科中退。東京スポーツ新聞社で新聞記者として勤務するかたわら、小説を執筆。1974年「退屈しのぎ」で群像新人文学賞受賞し、1975年退社し作家業に。1978年、剣道に打ち込む高校生の姿を爽やかに描いた「九月の空」で第79回芥川賞受賞。1982年、十二指腸潰瘍の手術のため入院。退院後、体力づくりのためゴルフを始めた。これにより以後、ゴルフに関する著作も多い。1983年、自身の作品「真夜中のボクサー」の映画化に際し、製作・脚本・監督を務めた。漫画の原作も多数あり、「北神仁」の筆名を持っている。作品は青春小説、恋愛小説、経済小説、ゴルフ小説と幅広い。ベストセラーとなったエッセイ「こんな女と暮らしてみたい」シリーズのほか、「「平成のさぶらい」「不良と呼ばれた夏」「あの時好きだと言えなかったオレ」「九番目の女」「我が魂はフェアウェイの彼方にあり」「グッドラック」「さすらいの甲子園」「天使を誘惑」「よろしく愛して」「ときにはセンチメンタル」「いつの日か驢馬に乗って」「ハロー・マイ・ラブ」「こんな女でいてほしい」「カムバック」「卒業」「花言葉」「風変わりな淑女たち」「人生のグリーンに風が吹く」「悲しみ君、さよなら」「プロポーズ」「フェアウェイの涙」「お江戸の用心棒 右京之介助太刀始末」など著書多数。

・東野圭吾(1958~)
 作家。大阪市生野区生まれ(本籍は中央区玉造)。大阪府立大学電気工学科卒。1981年、日本電装㈱(現在のデンソー)に技術者として入社。勤務のかたわら、推理小説を書き1983年「人形たちの家」を第29回江戸川乱歩賞に応募。1985年「放課後」で第31回江戸川乱歩賞を受賞し、デビュー。1999年「秘密」で第52回日本推理作家協会賞受賞。2006年「容疑者Xの献身」で第134回直木賞、第6回本格ミステリー大賞を受賞。ベストセラー作家となった。しかし、当初は日本推理作家協会賞候補5回、吉川英治文学新人賞候補5回、直木賞候補5回など、落選続きでヒット作に恵まれなかった。初期の作風は学園もの・本格推理・サスペンス・パロディ・エンタテイメントなど多彩。エンジニア出身のためか原子力発電や脳移植などの科学を扱った作品も多い。作品群に「加賀恭一郎シリーズ」「探偵ガリレオシリーズ」「天下一大五郎シリーズ」「浪花少年探偵団シリーズ」などがあり、「魔球」「学生街の殺人」「天使の耳」「鏡の中で」「ある閉ざされた山荘で」「交通警察の夜」「天空の蜂」「名探偵の掟」「片想い」「超・殺人事件」「白夜行」「手紙」「赤い指」「宿命」「変身」「幻夜」「流星の絆」「使命と魂のリミット」「鳥人計画」など多数。

・和久峻三(1930~)
 推理作家、弁護士。本名は滝井峻三。別名として夏目大介の筆名がある。京大法学部卒。同窓生に大島渚らがいた。中国新聞記者を経て1966年、司法試験に合格。1969年から京都に法律事務所を開設。1972年「仮面法廷」で第18回江戸川乱歩賞を受賞し、作家活動に入る。1989年「雨月荘殺人事件」で第42回日本推理作家協会賞を受賞。小説のほか法律案内の著書も何点か刊行している。夏目大介名義のファンタジー作品もある。法廷ミステリーの第一人者としての地位を不動のものとする。とくに<赤かぶ検事奮戦記><告発弁護士シリーズ(告発弁護士・猪狩文助)>は多くの読者の絶賛を博している。このほか、「京都殺人案内シリーズ」「弁護士・花吹省吾シリーズ」「代言人・落合源太郎」「弁護士 魁夫婦の推理シリーズ」「逃亡弁護士」「美人探偵・朝岡彩子シリーズ」「弁護士芸者シリーズ」「けん玉判事補(柊正雄)シリーズ」「あんみつ検事(風巻やよい)の捜査ファイル」「女裁判官物語(京都のテミス女裁判官)」などがあり、これらのシリーズの多くが、フランキー堺、橋爪功、いかりや長介、藤田まこと、若村麻由美らの主演で、作品と同様シリーズでテレビドラマ化されている。

兵庫県
・野間宏(1915~1991年)

 小説家・評論家・詩人。神戸市長田区生まれ。在家仏教祖師の子として生まれる。京都帝国大学文学部仏文科卒。1938年から大阪市役所に勤務、被差別部落関係の仕事を担当。1941年応召され中国、フィリピンを転戦するが、マラリアに感染し帰国。43年、思想犯として大阪陸軍刑務所で半年間服役。敗戦後、日本共産党に入党。1946年「暗い絵」を発表し、作家生活に入る。1952年「真空地帯」で毎日出版文化賞受賞。64年日本共産党から除名される。1971年「青年の環」で谷崎潤一郎賞、1973年「青年の環」でロータス賞を受賞。1977年、「差別・その根源を問う」「狭山裁判」など部落問題に関する言論活動が評価され、松本治一郎賞、1988年度朝日賞をそれぞれ受賞した。既述以外の主な作品は「崩壊感覚」「人生の探求」「思想と文学」「今日の愛と幸福」「若い日の文学探求」「干潮のなかで」「わが塔はそこに立つ」「創造と批評」「歎異抄」「親鸞」「危機の中から 対話集」「生々死々」「時空」「志津子の行方」「地の翼」「黄金の夜明け」「肉体は濡れて」など多数。
【記念館】神戸文学館(兵庫県神戸市灘区王子町3丁目1番2号)

・横溝正史(1902~1981年)
 作家。本名は同字で「よこみぞ まさし」。当初は筆名も同じよみだったが、渾名がそのまま筆名となり「よこみぞ せいし」とした。神戸市生まれ。大阪薬学専門学校(大阪大学薬学部の前身)を卒業し、自宅の薬種業に従事。1926年、処女短編集「広告人形」発表。江戸川乱歩の招きにより上京、博文館入社。「新青年」編集長、「文芸倶楽部」編集長、「探偵小説」編集長を歴任。1932年、初の書下ろし長編「呪いの塔」を刊行。博文館を退社。1933~34年、発病・闘病・療養生活を送る。1948年「本陣殺人事件」で第1回探偵作家クラブ賞(後の日本推理作家協会賞)長編賞を受賞。この作品はデビュー後20年以上経過しており、代表作とされるものはほとんどこれ以降に発表されている。同一ジャンルで書き続けてきた作家としては異例の“遅咲き”といえる。地味なベテラン作家から、これを機に一挙に江戸川乱歩に代わる日本探偵小説界のエース的存在となり、金田一耕助を探偵役とする一連の探偵小説が読者に圧倒的な支持を受けることになった。主な作品に「八つ墓村」「犬神家の一族」「悪魔の手毬唄」「獄門島」「女王蜂」「悪魔が来りて笛を吹く」「仮面舞踏会」「悪霊島」「病院坂の首縊りの家」「蜘蛛の巣屋敷」「悪魔の寵児」「花の通り魔」「謎の紅蝙蝠」「青蜥蜴」「鬼火」「蔵の中」「貝殻館綺譚」「蝋人」「舌」「面」「孔雀屏風」「かいやぐら物語」「面影草紙」など多数。 横溝正史資料館はhttp://wv-net.com/yokomizo.htm

和歌山県
・有吉佐和子(1931~1984年)

 作家。和歌山市出身。東京女子大短大卒。大学在学中から演劇評論家を志望していた。1956年「地唄」が芥川賞候補となり、文壇デビュー。1957年「石の庭」(テレビドラマ脚本)で第12回芸術祭テレビ部門奨励賞、1958年「ほむら」(新作義太夫の作詞)で第13回芸術祭文部大臣賞、1963年「香華」で第1回婦人公論読者賞および第10回小説新潮賞、1964年「香華」で第1回マドモアゼル読者賞、1967年「華岡青洲の妻」で第6回女流文学賞、1967年「赤猪子」(あかいこ、舞踊劇脚本)で芸術祭文部大臣賞、1968年「海暗」で第29回文藝春秋読者賞、1968年「出雲の阿国」で第6回婦人公論読者賞、1970年「出雲の阿国」で第20回芸術選奨文部大臣賞、1979年「和宮様御留」で第20回毎日芸術賞をそれぞれ受賞。初期は主として日本の古典芸能を題材とした短編が多いが、1959年自らの家系をモデルとした長編「紀ノ川」で小説家としての地位を確立した。1970年代に代表作になる、認知症などを含め高齢者問題に先鞭をつけた「恍惚の人」や、公害問題を取り上げて改めて問題提起した「複合汚染」が大きな反響を呼び、いわゆる「社会派」的イメージが定着した。代表作に紀州を舞台にした年代記「紀ノ川」「有田川」「日高川」の三部作、一外科医のために献身する嫁姑の葛藤を描く「華岡青洲の妻」などがある。既述以外の主な作品に「助左衛門四代記」「不信のとき」「木瓜の花」「三婆」「連舞」「非色」「女弟子」「更紗夫人」「乱舞」「一の糸」「花のいのち 小説 林芙美子」「新女大学」「開幕ベルは華やかに」「私は忘れない」「鬼怒川」など多数。理知的な視点と旺盛な好奇心で多彩な小説世界を描き出し、開花させた。

岡山県
・吉行淳之介(1924~1994年)

作家。岡山市で生まれ、東京麹町で育った。東大文学部英文科中退(学費未納で除籍処分)。父は新興芸術派の作家、吉行エイスケ。東大在学中から同人誌を刊行。中退後は雑誌記者のかたわら、同人誌「世代」「新思潮」などに年一作のペースで創作を発表。同人雑誌を通して安岡章太郎、近藤啓太郎、阿川弘之、三浦朱門、島尾敏雄らと知り合った。「第三の新人」の中心的存在と目された。1954年「驟雨」で第31回芥川賞を受賞。その後、1965年「不意の出来事」で新潮社文学賞、1970年「暗室」で谷崎潤一郎賞、1974年「鞄の中身」で読売文学賞、1978年「夕暮れまで」で野間文藝賞をそれぞれ受賞。既述以外の主な作品に「闇のなかの視察」「砂の上の植物群」「暗雲」「目玉」「原色の街」「焔の中」「悪い夏」「男と女の子」「すれすれ」「娼婦の部屋」「コールガール」「花束」「ずべ公天使」「夜の噂」「技巧的生活」「怪盗ねずみ小僧」「美少女」「浅い夢」「小野小町」、エッセイで軽妙なタッチの「恋愛作法」「浮気のすすめ」「不作法紳士」「私の文学放浪」「痴語のすすめ」「軽薄のすすめ」「面白半分のすすめ」「悪友のすすめ」などがある。

広島県
・高橋源一郎(1951~)

 小説家・文芸評論家。広島県尾道市で生まれ、小学生のとき東京へ。さらに1964年、中学時代に灘校に転入。横浜国立大学経済学部在学中、学生運動で逮捕され半年間の拘置所を体験。以後10年、肉体労働に従事。1979年から拘置所生活による失語症のリハビリとして小説を書き始め、1980年に「すばらしい日本の戦争」で群像新人文学賞に応募、最終選考まで残ったが結局落選。これを機に長編小説の執筆を開始し、1981年に「さようなら、ギャングたち」が群像新人長編小説賞優秀作に選ばれデビュー、柄谷行人、吉本隆明らに絶賛される。1988年「優雅で感傷的な日本野球」で第1回三島由紀夫賞。山田詠美、吉本ばなな、島田雅彦ら12人もの候補者が顔を揃えた大混戦の中、大江健三郎、江藤淳らの支持を得ての受賞だった。ただ、このときの賞金100万円は日本ダービーに全額つぎ込み一瞬にして使い果たしたという。2001年、近代文学が成立していく過程での明治期の文学者たちの苦悩を、テレクラやアダルトビデオといった現代風俗の中に再現した「日本文学盛衰史」を刊行。翌年、この作品で伊藤整文学賞を受賞。言葉、革命、性をテーマに現代文学の前衛として詩、翻訳、競馬評論など多彩に活躍中。既述以外の主な作品に「虹の彼方に-オーヴァー・ザ・レインボウ」「ジョン・レノン対火星人」「ペンギン村へ陽は落ちて」「追憶の一九八九年」「官能小説家」「君が代は千代に八千代に」「ミヤザワケンジ・グレーテスト・ヒッツ」「いつかソウル・トレインに乗る日まで」などがある。

鳥取県
・尾崎放哉(1885~1926年)

俳人。読みは「おざきほうさい」。鳥取市立川町生まれ。本名は秀雄。東京帝国大学法科大学政治学科卒。1911年、東洋生命に入社、大阪支店次長も務めたが1921年退職。満州で事業を興そうとしたが、湿性肋膜炎を患い内地に帰る。その後、托鉢による修養・奉仕を生活とする宗教道場、一燈園、知恩院常照院の寺男、須磨寺の大師堂の堂守、福井県小浜町の常高寺の寺男、小豆島の西光寺奥の院南郷庵の寺男と転々とし、最期は急性気管支を病み、さらに喉頭結核の病状を悪化させ死んだ。放哉は就職後妻帯もしたが、彼自身が知人に宛てた書簡によると、「官吏は虫が好かず、保険界に入ったが、そこは利口な悪い人の集まる世界だった。個人主義の我利我利連中が充満していたので、つい酒に不平をまぎらせ、遂に辞職に至った。私ごとき正直の馬鹿者は社会を離れて孤独を守るにしかずと決心した」と数奇な後半生を過ごした心情を吐露している。季語を含めない自由律俳句の代表的俳人として、種田山頭火と並び称される。旅を続けて句を詠んだ“動”の山頭火に対し、放哉の作風は“静”の中に無常観と諧謔性、そして洒脱味に裏打ちされた点が特徴。唯一の句集として死後刊行された、師の荻原井泉水編による「大空(たいくう)」がある。代表句に「咳をしても一人」「墓のうらに廻る」「足のうら洗えば白くなる」「一人の道が暮れて来た」「春の山のうしろから烟(けむり)が出だした」など。 【記念館】小豆島尾崎放哉記念館(香川県小豆郡土庄町本町甲1082)

山口県
・宇野千代(1897~1996年)

 作家。山口県玖珂郡(現在の山口県岩国市)出身。岩国高等女学校(現在の山口県岩国高等学校)卒。1921年「時事新報」の懸賞短編小説に「脂粉の顔」が一等で当選し、作家としてデビュー。1957年「おはん」で野間文芸賞を受賞。1970年、「幸福」その他で女流文学賞受賞。日本芸術院会員。1982年に菊池寛賞受賞、1983年発表の「生きて行く私」は自伝的小説として以後、宇野千代の代名詞となった。1990年、文化功労者に。尾崎士郎、東郷青児、北原武夫らとの同棲・結婚遍歴とその破局は波瀾に富み生涯を賑わせた。そうした体験に基づく愛欲の世界を描いて、比類なき地位を確立した。多才でデザイナー、編集者、実業家の顔も持った。既述以外の主な作品に「色ざんげ」「あひびき」「恋の手紙」「女の愛情」「女の日記」「人形師天狗屋久吉・刺す」「薄墨の桜」「残っている話」「幸福を知る才能」「生きていく展望」「普段着の生きて行く私」「倖せを求めて生きる」「別れも愉し」「或る一人の女の話」「雨の音」「私のしあわせ人生」「行動することが生きることである」「恋愛作法」「生きる幸福 老いる幸福」「私の幸福論」「百歳ゆきゆきて」などがある。

・奈良本辰也(1913~2001年)
 歴史家・評論家。山口県大島郡大島町出身。京大文学部史学科卒。大学卒業後、1938年、兵庫県立豊岡中学(現在の兵庫県立豊岡高等学校)教諭、1939年から京都市史の編纂事業に従事。1945年、立命館大学文学部専任講師、1947年同助教授、1947年同教授に就任。1968年、部落問題研究の業績を認められ朝日賞を受賞。1969年、大学紛争に際し立命館大学教授を最後に教職から離れ、評論活動に。林屋辰三郎らと雑誌「日本史研究」を刊行。1969年から2000年まで京都イングリッシュセンター(現在の京都国際外国語センター)学院長を務めた。日本近世思想史や明治維新史の研究を手掛け、とくに郷里の長州藩に関係した著作が多いほか、1960年代以降は一般向けの歴史読物の執筆も多くなっている。主な著書に「近世封建社会史論」「日本近世の思想と文化」「明治維新論」「吉田松陰」「高杉晋作」「二宮尊徳」「坂本竜馬」「武士道の系譜」「洛陽燃ゆ」「京都歴史歳時記」「昭和史と共にあゆんだ青春」「叛骨の士道」「日本史の参謀たち」「宮本武蔵 五輪書入門」「不惜身命 如何に死すべきか」「変革者の思想 時代の壁を打ち破るもの」「『狂』を生きる」「歴史に学ぶ 明治維新入門」「日本史の人間像 奈良本辰也対談集」「勝海舟と維新の旅」「日本の旅人15吉田松陰」「江戸城あけわたし」「維新の群像」「暗殺の季節」「小説 葉隠」「幕末群像 大義に賭ける男の生き方」「維新的人間像 新時代の予告者たち」などがある。

・林芙美子(1904~1951年)
 小説家。下関市生まれ。行商人の子として貧困の幼少期を過ごした。苦学して尾道市立高等女学校(現在の広島県立尾道東高等学校)卒業。1930年、自伝的作品「放浪記」でデビューし、これが代表作となった。暗い現実と人間の苦悩を生々しく描き、抒情と哀愁を湛えた多くの作品を発表。日中戦争勃発後は中国・東南アジアの各地に赴き、従軍作家として活躍。敗戦後は「うず潮」を発表、1948年に女流文学賞を受賞している。既述以外の主な著書に「清貧の書」「晩菊」「浮雲」「めし」「泣虫小僧」「ひらめの学校」「幸福の彼方」「婚期」「田舎がえり」「柿の実」「落合町山川記」「蛙」「或る女」「朝夕」「朝御飯」「愛する人達」などがある。自伝的代表作の「放浪記」は、女優・森光子主演で長きにわたって舞台上演され続けており、その数は1961年の初回公演から2010年時点で2000回を超えている。
【記念館】林芙美子記念館(東京都新宿区中井二丁目20番-1号)
     おのみち文学の館(尾道市東土堂町13-28)

・古川薫(1925~)
 作家。山口県下関市生まれ。山口大学教育学部卒。山口新聞編集局長を経て、1965年から文筆生活に入る。同年「走狗」で直木賞候補となったのを皮切りに、1973年「女体蔵志」、1973年「塞翁の虹」、1977年「十三人の修羅」、1978年「野山獄相聞抄」、1980年「きらめき侍」、同年「刀痕記」、1981年「暗殺の森」、1988年「正午位置」、1989年「幻のザビーネ」と直木賞候補になること実に10回の最多を記録。1990年、藤原義江の伝記小説「漂泊者のアリア」で遂に第104回直木賞受賞した。受章年齢65歳は当時最高齢で、25年越しの受賞だった。1991年、山口県芸術文化振興奨励特別賞を受賞。基本的なテーマは、長州藩・山口県とその出身・関連人物を取り上げた歴史小説・随筆などが作品の大多数を占める。既述以外の主な著書に「幕末長州の舞台裏」「長州攘夷戦争始末」「長州奇兵隊 栄光と挫折」「高杉晋作 戦闘者の愛と死」「吉田松陰 維新を先駆した吟遊詩人」「大内氏の興亡 西海の守護大名」「炎と青雲 桂小五郎篇」「獅子の廊下」「炎の塔 小説大内義弘」「暗殺の森」「閉じられた海図」「異聞 岩倉使節団」「失楽園の武者 小説大内義隆」「坂本龍馬」「不逞の魂」「留魂録 吉田松陰 訳注」「覇道の鷲 毛利元就」「わが風雲の詩」「花冠の志士 小説久坂玄瑞」「天辺の椅子 日露戦争と児玉源太郎」「維新の烈風 高杉晋作」「ザビエルの謎」「軍神」「将軍慶喜と幕末の風雲」「剣と法典 小ナポレオン 山田顕義」「松下村塾 吉田松陰と門弟たち」、このほか「時代を動かした人々 維新篇」で坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛、吉田松陰、板垣退助、アーネスト・サトウ、佐久間象山、伊藤博文などがある。

高知県
・倉橋由美子(1935~2005年)

 作家。本名は熊谷由美子、旧姓が倉橋。高知県香美郡土佐山田町(現在の高知県香美市)生まれ。明治大学大学院文学研究科中退。大学在学中「パルタイ」で1960年、明治大学学長賞を受賞。同作品が芥川賞の候補となった。「パルタイ」は平野謙が「毎日新聞」文芸時評欄で取り上げて注目された。続いて「夏の終り」でも芥川賞候補となったが、受賞できなかった。1961年、短編集「パルタイ」で女流文学賞受賞。1962年にそれまでの執筆活動に対し田村俊子賞を受賞。1987年「アマノン国往還記」で泉鏡花文学賞、マンボウ賞(北杜夫による文学賞)を受賞。亡くなった翌2006年に明治大学特別功労賞が贈られている。「第三の新人」以後の新世代作家として石原慎太郎、開高健、大江健三郎らと並び称され、とくに作風や学生時代に作家デビューしたという共通点のある大江健三郎と比較されることが多かった。初期の作品では冷静な視点から社会を見据えた風刺的な作品が多くみられ、後期では幻想的、あるいはSF的な作品が多い。主な作品に「スミヤキストQの冒険」「夢の浮橋」「悪い夏」「ヴァージニア」「迷宮」「城の中の城」「交歓」「幻想絵画館」「夢の通い路」「よもつひらさか往還」「偏愛文学館」「大人のための残酷童話」、翻訳家としてシルヴァスタイン「ぼくを探しに」などで知られる。

・坂東眞砂子(1958~)
 作家。高知県高岡郡佐川町生まれ。奈良女子大学住居学科卒。卒業後、ミラノで建築とデザインを学ぶ。帰国後、児童小説を書き始め、4冊の童話を刊行。1993年「死国」を発表。以降、「狗神」「蟲」「桃色浄土」「蛇鏡」など日本人の土俗的感性に密着した伝奇小説を相次いで発表した。1996年「桜雨」で島清恋愛文学賞、1997年に「山妣」で直木賞。「曼荼羅道」で2002年の柴田錬三郎賞を受賞。児童向けファンタジー小説で作家としてデビュー。のちに一般小説に転向した。ホラー小説と呼ばれるジャンルの作品が多いが、「死」と「性」を主題とした作品に特徴がある。既述以外の作品に、小説「道祖土家の猿嫁」「旅涯ての地」「わたし」「13のエロチカ」「夢の封印」「春話二十六夜 岐かれ路」「春話二十六夜 月待ちの恋」「パライゾの寺」「メトロ・ゴーラウンド」「葛橋」「神祭」「屍の声」「快楽の封筒」「梟首の島」「血と聖」「異国の迷路」「傀儡」「鬼神の狂乱」「見知らぬ町」、エッセイに「愛と心の迷宮」「ラ・ヴィタ・イタリアーナ」「身辺怪記」など多数。「死国」は1999年、「狗神」は2001年にそれぞれ映画化されている。

・平尾道雄(1890~1979年)
 土佐藩史・維新史研究家。大正9年、東京代々木の山内家家史編修所に入る。日本大学宗教科に学んだが、中退。以来50年、土佐藩史、とくにその維新史の研究に取り組み、この方面の第一人者として広く知られる。1953年、高知県文化賞を、1958年四国文化賞を受賞。のち高知大学、高知女子大学の講師やワシントン大学の客員講師を務めた。高知新聞社嘱託。主な著書に「定本 新撰組史録」「戊辰戦争」「天誅組烈士 吉村虎太郎」「武市瑞山と土佐勤王党」「容堂公記伝」「奇兵隊史録」「立志社と民権運動」「土佐藩漁業経済史」「土佐藩林業経済史」「土佐藩工業経済史」「土佐藩農業経済史」「吉田東洋」「山内容堂」「土佐藩」「近世社会史考」「長宗我部元親」「野中兼山と其の時代」「無形 板垣退助」「中岡慎太郎 陸援隊始末記」「坂本龍馬 海援隊始末記」「龍馬のすべて」「子爵 谷干城伝」「維新暗殺秘録」などがある。

・宮尾登美子(1926~)
 作家。高知市生まれ。高坂高等女学校卒。1962年「連」で「婦人公論」女流新人賞受賞。1973年「櫂」で第9回太宰治賞を受賞、出世作となった。1977年「寒椿」で第16回女流文学賞、1979年「一絃の琴」で第80回直木賞、1983年「序の舞」で第17回吉川英治文学賞を受賞。1989年「松風の家」で第51回文藝春秋読者賞受賞、紫綬褒章も受章した。1995年「蔵」でエランドール賞特別賞、2008年、第56回菊池寛賞、2010年「錦」で第6回親鸞賞を受賞。作品のテーマは一貫して女性で、自伝ものから出発して様々な分野に新境地を開いている。歴史の大きな流れに翻弄される女性はじめ、これまでつくり上げられてきた人物像を否定して、新たな解釈で浮かび上がらせている作品も発表。また、歴史的事実からは逸脱した解釈による創作もみられる。既述以外の主な作品に、「鬼龍院花子の生涯」「朱夏」「天璋院篤姫」「きのね」「クレオパトラ」「菊籬」「陽暉楼」「東福門院和子の涙」「天涯の花」「伽羅の香」「宮尾本 平家物語」「義経」「対談集 小さな花にも蝶」「春燈」「女のあしおと」「影絵」「岩伍覚え書」など多数。
【記念館】宮尾登美子文学記念館は(北海道伊達市梅本町57-1 http://www.city.date.hokkaido.jp/miyao 道の駅だて歴史の杜内)
     高知県立文学館(高知市丸ノ内一丁目1番20号)

福岡県
・赤川次郎(1948~)

 作家。福岡市生まれ。本人が語っているところによると、勉強は国語と英語以外、とくに数学と体育が苦手で、受験勉強もしていなかったため、大学受験に失敗。桐朋高等学校卒業後、本屋の勤務を経て日本機械学会事務局に就職。1975年ごろから小説(シナリオ)を投稿するようになり、1976年「幽霊列車」で第15回オール読物推理小説新人賞を受賞し、文壇デビュー。1978年に「三毛猫ホームズの推理」がベストセラーとなり、「三毛猫シリーズ」「天使と悪魔シリーズ」「花嫁シリーズ」など続々とベストセラー作品を刊行。1980年「悪妻に捧げるレクイエム」で第7回角川小説賞、2006年に第9回ミステリー文学大賞を受賞している。「三毛猫ホームズ」(長編33作・短編14作)はじめ、「三姉妹探偵団」(長編22作)、「幽霊シリーズ」22作など超人的な多作を誇っている。加えて、結末を決めずに書き始めるといった発言から、本格志向のミステリーマニアとは無縁な存在と思われがちだが、実は新本格派の作家の間でも評価する向きが少なくない。テレビドラマはもとより、「セーラー服と機関銃」「探偵物語」など10を超える作品が映画化され、若い層を中心に支持されている。主な作品に「セーラー服と機関銃」「ふたり」「死者の学園祭」「人形たちの椅子」「素直な狂気」「静かなる良人」「眠りを殺した少女」「殺人よ、さようなら」「やさしい季節」「禁じられた過去」「悪妻に捧げるレクイエム」「冬の旅人」などがある。2006年8月に作家生活30周年を迎え、執筆作品は480作に達した。累計発行部数は3億部を超えた。2008年、オリジナル著作が500作に到達した。

・北原白秋(1885~1942年)
 詩人・童話作家・歌人。名は隆吉(りゅうきち)。熊本の南関で生まれ、まもなく福岡県柳川にあった家に帰った。北原家は柳川藩御用達の海産物問屋を営む商家だった。早稲田大学中退。与謝野鉄幹・晶子夫妻の門に出入りする。「明星」「スバル」に作品を載せ、のち短歌雑誌「多磨」を主宰。象徴的あるいは印象的手法で新鮮な感覚情緒を述べ、また「からたちの花」「待ちぼうけ」「あめふり」「この道」「城が島の雨」「ちんちん千鳥」「かやの木山の」「砂山」「五十音」「ペチカ」「さすらいの唄」「恋の鳥」「雨」「あわて床屋」「揺籃のうた」「酒場の唄」「赤い鳥小鳥」など多くの童謡(作詞)をつくった。詩集に「邪宗門」「思ひ出」「東京景物詩」「真珠抄」「畑の祭」「白金之独楽」「水墨集」「海豹と雲」「新頌」、歌集に「桐の花」「雲母(きらら)集」「雀の卵」「観相の秋」「風隠集」「海阪(うなさか)」「白南風(しらはえ)」「夢殿」「渓流唱」「黒檜(くろひ)」「牡丹の木」、童謡集に「蜻蛉の眼玉」「からたちの花」などがある。生涯に数多くの詩歌を残し、上記の通り、今日なお広く歌い継がれる童謡を数多く発表。詩・童謡・短歌以外にも「松島音頭」「ちゃっきり節」など民謡の分野にも傑作を遺している。
 【記念館】北原白秋記念館(福岡県柳川市大字沖端町55-1 http://www.hakushu.or.jp/)

・福永武彦(1918~)
 作家、詩人、フランス文学者。福岡県二日市町(現在の福岡県筑紫野市)生まれ。東京帝国大学文学部仏文科卒。北海道帯広市で帯広中学校の英語教師として勤務していた1946年、雑誌「高原」に処女作「塔」を発表。また、旧制高校時代の同級生、中村真一郎・加藤周一と「マチネ・ポエティック」を結成し、日本語での押韻定型詩の可能性を追求した。戦後、この3人で「1946年文学的考察」(1947年)を発表、戦場での体験や左翼運動を経験した第一次戦後派作家とは距離を置いた文学活動を始め、話題を呼んだ。1954年、長編小説「草の花」で作家としての地位を確立。この間、長い療養生活がありながら、深層意識を探るための方法を追求し、秀作を書き続けた。中村真一郎とともに堀辰雄の薫陶を受け、「堀辰雄全集」の編纂にも何度も関わった。学習院大学で長く教鞭をとり、ヨーロッパ最先端の文学動向をよく論じたボードレールなどの翻訳や芸術家を主題にしたエッセイでも名高い。加田伶太郎の名で推理小説も書いている。既述以外の主な作品に「風土」「冥府」「海市」「飛ぶ男」「廃市」「夢見る少年の昼と夜」「夜の時間」「愛の試み」「心の中を流れる河」「世界の終り」「ゴーギャンの世界」「告別」「忘却の河」「幼年」「風のかたみ」「死の島」などがある。

大分県
・野上弥生子(1885~1984年)

 作家。大分県臼杵市生まれ。本名は野上ヤヱ(のがみ やゑ)、旧姓は小手川。醸造業を営む裕福な家に生まれ、学校教育のほか国文・漢文の古典と英語の個人授業を受け、育った。15歳で単身上京。明治女学校に入学。卒業後、夏目漱石門下で同郷の野上典一郎と結婚。結婚後、夏目漱石の指導を受けて小説を書き始めた。以後、99歳で亡くなるまで現役作家として執筆活動し、多数の作品を発表した。21歳のとき、処女作「縁」をホトトギスに発表。「青鞜」の創刊に協力し、女性の自立の方向を模索。1957年「迷路」で第9回読売文学賞、1964年「秀吉と利休」で第3回女流文学賞を受賞。1971年に文化勲章を受章。1980年に朝日賞、1986年「森」で日本文学大賞を受賞。1931年に発表した「真知子」は宮本百合子の「伸子」を意識して書かれたともいわれるが、1920年代の女性の生き方を描いた作品として、日本文学に大きな位置を占めている。既述以外の主な作品に「海神丸」「虹の花」「藤」「山姥」「草分」「山彦」「鍵」「若い息子」「哀しき少年」「黒い行列」「鬼女山房記」「笛・鈴蘭」「若き姉妹よいかに生くべきか」「政治への開眼 若き世代の友へ」などがある。法政大学女子高等学校・名誉校長も務め「女性である前に まず人間であれ」の言葉を残している。
【記念館】野上弥生子文学記念館(大分県臼杵市浜町358)

長崎県
・佐多稲子(1904~1998年)

 作家。本名は佐多イネ。長崎市出身。1916年一家で上京し、キャラメル工場で働く。この後いくつかの勤めを経て1925年、本郷のカフェ「紅緑」で「驢馬」同人の中野重治、堀辰雄、窪川鶴次郎らと会い、のち窪川鶴次郎と結婚する。1928年、処女作「キャラメル工場から」を「プロレタリア芸術」に発表。新しいプロレタリア作家として認められた。1932年には非合法だった日本共産党に入党(のちに除名処分)している。その後、プロレタリア文学運動が弾圧により停滞した時代には、夫、窪川の不倫もあって、夫婦関係のあり方を見つめた「くれなゐ」(1936年)を執筆し、長編作家としての力量を示した。その後も「素足の娘」などを発表。離婚後、宮本百合子らと婦人民主クラブの創立に尽力するなど戦後の民主化運動に貢献するとともに、旺盛な作家活動に入った。1963年「女の宿」で第2回女流文学賞を受賞。以後、1972年「樹影」で第25回野間文芸賞、1976年「時に佇つ」で第3回川端康成文学賞、1983年「夏の栞」で第25回毎日芸術賞、さらに「長年の作家活動による現代文学への貢献」「により朝日賞を受賞。1986年「月の宴」で第37回読売文学賞(随筆・紀行賞)を受賞。既述以外の主な作品に「日々の伴侶」「体の中を風が吹く」「灰色の午後」「燃ゆる限り」「夜の記憶」「愛とおそれと」「渓流」「歯車」「塑像」「私の東京地図」「心通はむ」「年譜の行間」「重き流れに」「女の一生」「女性と文学」など多数。

<国外>
・佐木隆三(1937~)

 作家。旧朝鮮咸鏡北道吉州面(現在の北朝鮮に属する地域)生まれ。両親は広島県出身。1941年、父親が海軍に召集され、一家で日本に引き揚げた。広島県高田郡小田村(現在の安芸髙田市甲田町)で育った。父が泣くなり母の実家福岡県へ移住。福岡県立八幡中央高校卒業。卒業後、八幡製鉄(現在の新日本製鉄)に就職。同人誌などに小説を書き始め「新日本文学」や「文學界」に発表。1960年から八幡製鉄労働組合の活動を始め、安保闘争の直前の日本共産党への入党、そして離党などを経て、そうした体験を基に書いた、1963年「ジャンケンポン協定」で新日本文学賞。1964年まで八幡製鉄に勤務。以後、著述業を業とする。1976年、連続殺人犯・西口彰を題材にした「復讐するは我にあり」で第74回直木賞受賞。1991年「身分帳」で第2回伊藤整文学賞を受賞。主な著書に「偉大な祖国アメリカ」「勝ちを制するに至れり」「死刑囚 永山則夫」「宮崎勤裁判」「司法卿 江藤新平」など多数。

・豊田穣(1920~)
 作家。筆名は「とよだ じょう」、本名は「とよだ みのる」と読む。旧満州四平街生まれ。元海軍軍人(最終階級は海軍中尉)。その後、郷里の岐阜県本巣郡穂積町(現在の瑞穂市)へ戻った。1940年、海軍兵学校卒業。1941年、霞ヶ浦航空隊付、第36期飛行学生(操縦員)。1943年、ソロモン方面イ号作戦で撃墜され米国捕虜に。1946年帰国。岐阜の新聞社を経て、1952年中日新聞入社。勤務のかたわら、小説を書いた。1947年、処女作「ニューカレドニア」発表。1951年「ミッドウェー海戦」で岐阜県文化賞、1973年「長良川」で第64回直木賞受賞。1981年、児島襄と共同で、この年公開された映画「連合艦隊」の企画協力を担当、1986年に紫綬褒章を受章。1992年、中日文化賞受賞。主な著書に「日本交響楽」「初代総理 伊藤博文」「世界史の中の山本五十六」「同期の桜」「情報将軍 明石元二郎」「名将 宮崎繁三郎」「新・蒼空の器」「海軍軍令部」「航空巡洋艦 利根・筑摩の死闘」「小説 東京裁判」「燃える怒涛 真珠湾のいちばん長い日」「私論 連合艦隊の生涯」「激流の孤舟 提督・米内光政」「松岡洋右 悲劇の外交官」「最後の元老 西園寺公望」「西郷従道」「飛行機王・中島知久平」などがある。

・皆川博子(1930~)
 作家。旧朝鮮京城市生まれ。東京女子大学外国語科中退。「海と十字架」で児童文学作家としてデビューした後、推理小説に転向。幻想文学、時代小説、ミステリー、それぞれの分野で評価されている稀有な作家。1970年「川人」で第2回学研児童文学賞ノンフィクション部門賞、1973年「アルカディアの夏」で第20回小説現代新人賞、1985年「壁-旅芝居殺人事件」で第38回日本推理作家協会賞、1986年「恋紅」で第95回直木賞、1990年「薔薇記」で第3回柴田錬三郎賞、1998年「死の泉」で第32回吉川英治文学賞をそれぞれ受賞した。既述以外の主な作品に「散りしきる花」「写楽」「妖恋」「笑い姫」「花櫓」「滝夜叉」「戦国幻野」「幻夏祭」「乱世玉響-蓮如と女たち」「秘め絵灯篭」「みだら英泉」「鶴屋南北 北冥府巡」「世阿弥殺人事件」「光源氏殺人事件 古典に隠された暗号文」「花闇」「愛と髑髏と」「二人阿国」「聖女の島」「冬の雅歌」「彼方の微笑」「虹の悲劇」「炎のように鳥のように」「霧の悲劇」「知床岬殺人事件」「祝婚歌」「夏至祭の果て」「水底の祭り」「ライダーは闇に消えた」「トマト・ゲーム」などがある。

・八尋舜右(1935~)
 作家。平壌生まれ。早稲田大学文学部卒。父は浄土宗正僧正八尋洲光。人物往来社に入社。「歴史読本」編集長、その後、朝日新聞図書編集室長、「月刊朝日」編集委員を経て、作家活動に。史実に忠実ながらも、歴史の不明の部分、謎の部分の解き明かしに重きを置いた歴史小説にも取り組んでいる。主な著書に「太宰治 文がたみ-道化と死」「風よ軍師よ落日よ 戦国挽歌」「慶喜の残暦」「軍師 竹中半兵衛」「長耳の人-徳川吉宗」「森蘭丸 乱世を駆け抜けた青春」「小説 立花宗茂」「志士たちの朝」「仁王の如く坐禅せよ 鈴木正三伝」「改革を断行した長耳の人・徳川吉宗」「平成大改革のリーダーに求められる条件」「坂本竜馬 幕末の風雲児」、歴史的人物の人生とその足跡を追ったシリーズ「○○(人物名) 物語と史蹟をたずねて」で「坂本龍馬」「高杉晋作」「上杉謙信」「源実朝」「良寛」「空海」「藤原四代」「毛利元就」「北条時宗」など多数。共著に「人物日本史おもしろ百貨店 奇人・変人・ひょうきん人」「人物日本剣豪伝」などがある。